”分析したい”という愛情表現もあるんだよっていうお話。

 
●はじめに。
 
こんにちは。こんばんは。
どうも、書く書く詐欺の常習犯です。
ご来訪いただきありがとうございます。
 
これまでのはてブを読んでくださってる方や、普段の私のツイートを知ってる方などはわかると思うのですが、私はAぇさんはじめ関ジュが好きで、セクゾさんやWESTさんも好きで、お芝居が好きで、遣都くんや洸平さんが好きで(小声)、そして何より
 
言語学が好きな人間です。
 
とはいえ言語学ってマイナーな学問なので、何が好きなん?何が面白いん?って方も多いと思うのです。
 
Aぇ担さんだったら、とりあえず私の過去のはてブ読んでいただければ少し言語学という分野が身近になると思います☺(宣伝)
 
そんなわけで今回は、自己紹介もかねて(3度目の投稿にして自己紹介…)言語学が日常やオタ活にもたらす楽しさや弊害(笑)をゆるっとお話ししてみようかなと思い、この記事を書き始めました。
目標は、これを読み終わったあと、オタクのやり方って多種多様なんだな〜こういう人もいるんだな〜と面白がってもらうことと、ちょっとでも言語学を身近な学問にかんじてもらうことです!
(これなんのはてブなん?)
 
これを読んでくださったあなたが、ちょっとした新しい発見をした気持ちになってくださいますように
 
 
●好き=分析したい、の感情。
 
テレビの中の人、舞台の上の人、大学の友人、などどんな関係性であれ、「この人好きやなあ」となることはたぶんみなさんあると思います。
人ではなくても、ドラマや映画、舞台演劇などで「この作品心に響くなあ、好きだなあ」と思うこともあるでしょう。
好きな人、好きな作品に対して、みなさんはどんな感情を持つのでしょうか。
 
私は、
「あ〜この人好きやなあ、分析したい
「あ〜この作品素敵やったなあ、分析したい
となります。
自分で客観的に見ても、変態的だなと思います。はい。
 
そもそも私が好きになるタイプが、言葉に対する感性が繊細でいるような人や、言葉遊びが繊細に行われている作品のことが多いので余計に、というのもありますが、とにかくほぼ例外なく私はこれです。
 
そして実際に分析してしまいます。
なんなら大学のレポートにガンガン使わせていただきました。
好きな人本人が本人としてお話されている動画やラジオを使用することもあれば、ドラマや演劇の戯曲を使用したこともありました。
 
とにかく好きなので、分析は苦になりません。
ニヤニヤしながらレポート書けるなんて、大学生の鑑です自分で言うな)
 
好き推し愛してる、ほど大きな感情でなくても気になったらまずは文字起こししてみちゃう、ということもあります。
例えば、西畑さんとかまさにそれで(いやもちろん好きなんだけど)。
去年の#なにわにQを見ていたとき、西畑さんの語りかけ方がとてもやわらかくて身近なかんじがしたんです。これがいわゆる「恋人にしたい」の所以なのかもしれないなと思いながら、私はそこにキュンとするよりも
 
やわらかくて身近なかんじがする要因はどこに隠れているんだろう
 
が気になってしまうんです。
もっと直感に従って生きたほうが楽しいかもしれないですね。
 
ちなみにこれ、文字起こししただけで満足して終わっちゃってるので、いつかやる気が出たら分析したいなと思っています。やる気が出たら。(4月から社会人ですけどなにか)
 
 
●人の会話を聞いてるだけで楽しい。
 
私は言語学の中でも、音声学や音韻学などの小さい単位を扱う分野ではなく、会話分析だったり語用論といった、発話、文のしくみなどを扱う授業を多く取っていたこともあり、人と人との会話の中で起こる現象を観察するのが大好きです。
 
たとえば、
・スタイルシフトの場面
(発話のスタイルを変化させること。敬語話者が一時的にタメ語を使用することをダウンシフト、タメ語話者が一時的に敬語を使用することをアップシフトと呼ぶ。私の卒論テーマ。)
・ターン交替の場面
(発話の順番がどのようにまわっていくか。間が生まれることもあれば、オーバーラップすることもある。重ならずテンポよくターン交替が行われないとき、その原因はなんだろう?と気になってソワソワする)
アイロニー(皮肉)発話
(字義的意味と伝達内容になんらかの乖離があるような発話(諸定義あり)。直接的に言わないことによる効果はなんだろう?相手にそのアイロニーは解釈されているのか?など気になってしまう)
・誤解、勘違いが生まれる場面
(話し手の伝達ミスか、聞き手の推論ミスかによって伝達内容が正確に伝わらない場面。必要な量の情報が伝えられたのか?話し手の発話からどういった推論を働かせたのか?どの部分で勘違いがうまれてしまったのか?と原因究明したくなる)
・いわゆる若者言葉、辞書に載っていない表現
(「この動画さのすえがさのすえしてる」のような表現、文法的には不明瞭だけど言わんとすることは伝わりますよね(たぶん)。あとは、「普通に美味しい」の「普通に」はなにを示しているのか、とか、辞書的意味から逸脱した使用がなされている表現を見ると可能な限りメモして分析したくなっちゃう)
 
などなど………
これ以外にもある気がしますが、主にはこんなところですね。
特にスタイルシフトは、あらゆるコンテンツを見ながらニヤニヤします(私のついったー参照)
 
本当は心理学とかも勉強していたらもっと多角的に楽しめるのだとは思うのですが、あくまで私は言語学の浅い知識しかないので、実際の話し手の意図が正確にわかるわけではないです。
 
でも、正しいだけがゴールじゃないんですよね。
楽しいもんは楽しい。
それだけ。
 
 
●ちなみに。
 
ブレイクタイムついでに言い訳をします。
 
言語学は"(目の前にある)言語現象を分析する"学問です。いや、正確にどうかは知らんけど私なりの意識はこれです。
 
なので、"言語学専攻=語彙が豊富"という認識をされている方がいたら、それはおそらく間違いです。
語彙力?そんなん構築する授業なんて受けたことないわい。あるなら受けたいわい。
 
はい、ブレイクタイム終わり。
 
 
こっからは弊害をご紹介します。笑
たぶん他人事だと思って読む分にはめっちゃ笑える話なのでご安心ください😳
 
 
●人と喋るのが下手になった。
 
これは言語学を深めていくうえで思わぬ弊害でした。
 
まあもともと人見知りするほうではあって。
その場限りの関係性だったらスラスラ喋れるんですが、"これからも関係が続いていくかもしれない"人と話すのはそんなに得意じゃなかったんですよね、たぶん。
 
それが、言語学を学び、悪化しました
 
原因は至ってシンプルで、自分の発話内容がもたらす効果について必要以上に考えてしまうから、です。
 
今ここでターンを取って平気かな?
ダウンシフトしたら失礼にあたるだろうから中途終了発話にしなきゃ。
バックグラウンドが違う相手だけどどこまで説明しながら話したほうがいいかな?説明不足で伝わらないのも困るけど、説明しすぎるのも失礼にあたるよな。
あれ、今の相手の間はなんの意図だろう?
今のってアイロニー的発話だったな、もしかしてこの話題気に触ってしまったのかな?
 
もう考えだしたらきりがない。
私は関係が続いていく人に対して、好かれたい仲良くしたい近づきたい、みたいな積極性をもって会話しているわけではなくて(それはゆくゆくでいいので)、とにかくマイナスに思われたくない失礼に値する発言をしたくない無でいたい、みたいな心持ちなんですよね。シーソーをちょうど平行に保ってたい、みたいな。
 
んで、結果、とても人見知り(してるふりをして相手の発話を注意深く観察している大人しめ)な人間になってしまいました。
 
言語学を学んだことによって苦しめられてしまうなんて、状況的アイロニーの一種ですね。(これが私の通常運転)
 
 
●人の話やお芝居の内容が頭に入ってこない。
 
いや、聞いてるんですよ!?聞いてるんですけどね!?
ただ、上記したように常にいろんな言語使用の方法が気になるんですよ。で、なにか見つけてしまうと、その場で分析したくなってしまって。でも相手はもちろん話を続けているわけなので、結果として私の脳内が置いていかれてしまうという。
 
…完全に私が悪いな。すみません。
 
 
●変なタイミングでニヤニヤしてしまう。
 
これを読んでくださっている方はアイドルファンしてる方が多いのかなあと思うのですが、みなさん、自分の推しのどんな発言を聞いたときにニヤニヤしますでしょうか(質問が雑)
おそらく定番は胸キュン台詞、とかなんじゃないでしょうか。いや定番とか知らんけどね。決めつけるわけじゃないので気を悪くしないでくださいませ。
 
私は、
推しが年上の人との会話でダウンシフトしたら、公共の場で容認されないレベルでニヤニヤしてしまいます。
 
大抵ひとりで動画やラジオを楽しむことが多いので、まあ問題ないっちゃないんですが、「ねえこの動画のここ見て!!ダウンシフトしてるの!!やばい!!」みたいに友人にLINEをしても、あ〜…で?みたいなかんじになりお互い、あれ?みたいな空気になります。
申し訳ない。でも私にとって年上へのダウンシフトはどんなキザな台詞よりもドキッとして苦しくなってしまうのだよ。
 
というわけで、引かれます。
 
 
●文末の括弧書きを多用してしまう。
 
このブログ内でも相当使っていると思います。
喋るのが下手になったのがspeaking面の弊害であれば、writing面での弊害がこれです。
LINEやついったーで括弧書きを使わずにはいられないのは、顔の見えない相手に確実に自分の発話に含んだ伝達内容を届けるた、です。
直接話すときであれば声のトーンやスピード、視線など表情を加味して聞き手は推論をはたらかせることができますが、文字だけのやり取りではそれができない。であれば推論の過程で間違いが起きる可能性が高くなる。
 
Grice(1967, 1975, 1989)は、会話において、4つの格率がまもられるべきだとまとめています。
1. 量の格率
→必要なだけ十分な情報を与えるべし、必要以上には与えるな。
2. 質の格率
→嘘は言うな、証拠のないことは言うな。
3. 関係の格率
→関係あることを言うべし。
4. 様態の格率
→わかりにくい表現や曖昧さは避けよ、簡潔に、順序よく情報を提示せよ。
 
でも、地の文でこれを完全に守ろうと思ったら、めっちゃ堅苦しくなるじゃないですか。
でも、勘違いされたくない。
 
となって、結果、括弧書きを多用してしまうことになります。
おかげで私の文章はいつも長文です。
 
 
●おわりに。
 
そんなわけで長々と、私の日常について書き連ねてきましたが…
 
あれ?なんか弊害のが多くない???
待って!言語学って楽しいから!!ね!!!
 
弊害、なんて書いてしまってますが、生きていくうえで困りはせんくらいのものなのでね、もう全然平気ですよ。
それより推しを分析する楽しさが勝ってしまうし。
 
 
余談ですが。
私の中で、「好き」がどういう感情なのか、よくわからなくなるときがあります。
でも、言語学やってて新しい発見あると嬉しくなるし、誰かに教えたくなるし、また新しいことを知りたくなる。
おんなじように、たとえばAぇさんだったり、役者さんだったり、作品だったりに対して、新しい何かを見つけるとすごく嬉しくなるし、次の活力につながる。
そう思うと、私の中での「好き」って「好奇心」に近いのかもなあ、なんて思ったりします。
 
これって、いわゆる世間一般が思い描く(そして、求められている、のかもしれない)ドルヲタの姿ではないのかもしれないですね。
最近よく、自分はアイドルを応援するのは向いていないんだろうなあ、と感じることが多いのは、こういった「好き」の違いを感じる場面があるからかもしれません。
 
でもやめるつもりはないので。
これが私なりの、好きな人や好きな作品への愛情表現です。
 
 
 
 
………結局これなんのはてブだったんですかね。笑
理論的な文章になっているかすらわかりません。笑
よくわかりませんが、楽しんでいただけていたら幸いです🙌
 
 
ではまた。気が向いたときに、思い出したようにつらつらと書きに来ます。
ありがとうございました!