現実逃避から得たものと虚無な気持ちについて。

●はじめに。

 

こんにちは。こんばんは。
ご来訪くださりありがとうございます。
珍しく、めちゃくちゃ早いスパンで更新しています。笑

今日は、というか、今日も、備忘録的なブログで、今の私の気持ちをつらつらと書いていくだけなのでなにも中身はないんですが、もしお時間あればお付き合いください。
ことばを書きたい欲のままに書き始めているので、どんなまとめになるかすらわかりませんが…。

 

●エイトさんに出会って約1週間。

先日、エイトさんのライブに参戦し、その感想ブログ(またの名を沼落ちブログ)を掲載しました。

yurietty-pon.hatenablog.com


ありがたいことにたくさんの方に読んでいただいているようで、ご意見のマシュマロもいくつもいただき、本当にありがたいです。

ライブにいたあのとき感じた、“ああ、今、生きてる”、という感覚。
そして、私のことばで、私の見たもの感じたことを書いたブログをたくさんの方に読んでいただいていることで感じた、“私のことばが生きている”、という感覚。

間違いなく、関ジャニ∞さんが、くれた感情です。

 

約1週間経った今、私は8BEATを3形態持ち、十祭とGR8ESTのライブDVDを買い、ファンクラブに入り、悔しいくらいにズブズブです。


でも、それでも、前述した感覚は、ゆっくりと薄らいでいっています。

今は、それがすごく悲しくて、悔しくて、不安になります。

 

自分で自分の書いたブログを読み返して、アルバムを聴いて、それでも、だんだんと、遠ざかっていってしまうんです。
私、あのとき、生きていたはずなのに、今の私に何が残っているんだろう。

 

●黒い感情が戻ってきたわけじゃない。

 

前回のブログでもふれたように、エイトさんのライブに行くまでの私は、ずっと鬱々とした気持ちで、しにたいなあと思っていて、簡単にしぬ方法がないかなあとか、ずっと考えていました。社会復帰できる気もしない。退職するとしても手続きとか考えると面倒だし、休職に必要な資料は定期的に提出しなきゃいけなくて、それすら嫌。今この瞬間自分が生きていても生きてなくても、世界はなんも変わらないじゃん、みたいなことを考えて一日が過ぎていました。

ライブに参戦してから1週間。
その気持ちは、あんまり、表に出てきていません。

 

でも、なにか、空虚で、楽しい夢を見た後の喪失感がジワジワ迫ってくるような心地で。
決して落ち込んでいるわけではない気がするけれど、でも何もする気が起きなくて、ぼんやりと寝転がって、私何やってるんだろうなあ、って気持ち。

 

よく考えてみれば、そりゃそうなんですよね。
あのとき、生きてるって感じたからといって、私を取り巻く環境が良い方向に変わったわけじゃない。
私が、ことばを紡ぐ気力を思い出したところで、それが復職につながるわけじゃない。
何も、変わっていないんです。

エイトさんからパワーをもらったなら、それを糧に、自分が、動かなきゃいけない。
当たり前のことだけれど、そのことを考えて、あれ、私は今なにをしているんだろう、ってなっています。

 

今までは薄暗い入り組んだ迷路の中にいたような心地だったのが、今は、一面真っ白な、いや、透明な平野にぽつんと立っているような気持ち。
走ろうと思えば走れるはず。でも、どこに向かったらいいんだろう。
迷路じゃないのに、迷子。
みたいな気持ち。

 

自分でもうまく言い表せないので、伝わっているか、不安です。
伝わらなくてもいいけど、受け取ってくださったら嬉しいです。

 

●虚無な気持ちをことばにしようという無謀さ。

 

今の私、なんだかものすごく虚無です。
でも1週間前とは違っていて、とりあえず運動しようと思ってラジオ体操したり(それを運動と呼ぶかはさておき)、柔軟運動したり、こうやって書いてみると、生きようとしているのかなあ、ってかんじがします。
でも、ものすごく虚無。

 

なんなんでしょうね、この気持ちは。

 

鬱になって、東京に逃げてきて、いろんな人と会って話して。
その中で私は、どうしても、自分のことばを諦めたくなかった。
そして、エイトさんのライブに行って、今こうやってボロボロになっている自分だからこそ感じられるものがあって、それを表現できるのは自分しかいないんだ、ってことに気づいた。
社会不適合者の私が、社会不適合者なりに紡ぐことばに意味があるのかもしれない、って思ったんです。

でもふと周りの現実を見たときに、そういった自分の考えが、なんの役にも立たないことに気が付くんです。
たぶん、このまままた社会に出たら、私はまた、ことばに飲み込まれて息苦しくなって自分じゃないことばを吐く生活になって倒れるような気がするんです。

 

じゃあ、どうしたらいいんだろう。

 

という、虚無を、抱えています。

 

●帰ります。

 

こんな虚無な気持ちを抱えたまま、私はひとり暮らしのおうちに帰ります。
会社の資料や、ため込んだ郵便物がたくさん積みあがっている自分の部屋、考えただけでちょっと気持ちが落ち込むような、落ち込むことすら疲れるような気持ちです。

 

ほら、今も。
ここまで書いて、ことばを紡ぐ気力がなくなって、気づいたら2時間ぐらいぼーっとしていました。
まったく、自分のこととはいえ、他人事のように明日からの自分が心配になってきました。
大丈夫かねえ、私。

 

●終わりに。

 

冒頭に書いた通りなんの脈絡もないブログになってしまいました。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

 

うつ病になったこと、しにたいと考えるようになったこと、ぼーっとして動けない時間を過ごすようになったこと、それらを身に纏っているのが、今の私です。
それを、ネガティブなことではなく、自分の経験のひとつとして、私が紡ぐことばの要素のひとつとして、捉えられるようになれればいいなあ、とこの1週間で考えるようになりました。

私にはうつ病がどういうふうに良くなったり悪くなったりしていくのか、いまだによくわかっていないし、お薬が効いているのかどうかもいまいちわからない。少なくとも今は副作用で昼間も眠気に耐えられないような生活で、働くことができるかどうか、心配する気さえしてこないほど、社会に戻った自分が想像できない。
でも、今はまだ、その気持ちを、私のことばで残そう、っていう気持ちがある。
ひとまずはそれでいいのかもしれない。

きっとこれからも気分の波に翻弄されると思います。
天邪鬼な性格も相まって、みんながあまりに楽しそうだと急に殻に籠りたくなったり、妬んだり、すると思います。推しを見ても楽しくなれないかもしれません。
3日後にはもうツイートする気力すらなくなっている、なんてこともじゅうぶんあり得る。
それくらい、自分で自分のことがわからないんです。

 

だからせめて、ことばを紡げるときに、残しておこう、って思った。
ただそれだけの、ブログです。

 


ではまた。気が向いたときに、思い出したようにつらつらと書きにきます。
ありがとうございました!