ツイートから抑うつ状態の自分を観察したお話。

●はじめに。

こんにちは。こんばんは。
ご来訪くださりありがとうございます。
そして、明けましておめでとうございます。
(※これ、書き始めたの1月2日だったんです…笑)

さて、今回のはてブですが、新年一発目として、まっっっっったく相応しくない内容でお届けしますっ!

みなさん、年末年始はどのようにお過ごしでしたか?
お仕事の方もいらっしゃったでしょうし、現場納めや現場初めをした方、好きな人とのんびり過ごした方、ひとりの時間を満喫した方、さまざまだと思います。

私は、これまでの自分の鬱々ツイートを振り返ってモーメントを作成しておりました。
おかげさまで気分が落ち込み、狼煙行けない悲しさも重なり、しばらくTwitterからも離れておりました(自業自得)

さらに言えばこのはてブ、5000字くらいまでパソコンで書いていたにも関わらず、1月7日に突然パソコンの電源が入らなくなり修理に出すことに。なので、現在の私はスマホでまた1から書き直しています。
年明け早々、いろいろありますね。

そんなこんなで(どんなやねん)、鬱々ツイートをまとめたのですが、なんとびっくり500ツイートくらいあったんですよね……フォロワーのみなさま本当に申し訳ありません……。

今回はそんな心の声ダダ漏れの自分のツイートを振り返りながら、私がいかにして抑うつ状態になったのかを考えてみたいと思います。

これがやるべきことなのかどうか、正直わからんし、どこにも需要ないとは思いますが、万が一5年後10年後生きていたとしたらまとめてあったほうがいいなあという自己満足の備忘録です!

 

●入社前〜いろいろと怒涛の4月。

このブログを読んでくださってる方のほとんどが私のTwitterのフォロワーさんだと思うのでご存知かとは思いますが、私は学生時代文学部で言語学を専攻するTHE文系のにんげんでした。でも言語学を活かした職業ってなかなかなくて、院に行くのも試験勉強したくねえ…っていう理由で諦めた私(このとき頑張ればよかったと今さら思う)
アルバイトで接客販売のお仕事をしていたこともあり、人と関わるお仕事がしたい、笑顔を届けられるようなことがしたい、という気持ちから、小売業の某企業に入社を決定。このとき、新入社員は基本的に1年目は店舗配属で接客やレジ打ちだよー、と言われていたことばを純真無垢に信じていました。

 

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まずこちらが、入社前の私。
呑気に言語学に未練タラタラで若干尖ってますね。

そして4月になるとなにやら一変します。

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まず前半、新入社員研修で、私の心がグワングワンと叫び続ける毎日。
集団行動が苦手、綺麗事が苦手、なかよくしよ♡が苦手、かといって相手を蹴落として自分が自分が、って手を挙げるのも苦手。
このときは、研修の内容も、休み時間のザワザワとした空気も、全部が私の心臓を痛める原因で、トイレや階段の踊り場に逃げて息を整える毎日でした。
そして中旬の配属発表で、まさかの、プログラミング等を行う本社部署への配属が決定。
前述のように、私は純度100%の文系。なぜこの配属になったのか、いまだに謎。
まあそれでも何とかなるのかな…と思いながら働き始める私。
何とかなるわけありません。
何がわからない?と聞かれて、何もわかりません…以外に答えようがない現実。とりあえずコンピュータ基礎知識、みたいな古ぼけたテキストを渡されるけれど基礎知識を説明している語句がまずわからない。英単語を知らない人に英語の教科書を渡した、みたいなかんじです。
私と同時に入った同期は2人いて、どちらも大学でプログラミングだの情報技術系だのを学んでいた方々で、もちろん職場の方もこの道何十年、みたいなベテランさんばかり。今さら英単語をひとつひとつ説明してくださる時間もなければそんな必要があるとすら思われていなかったのだと思います。

 

●意外と既に泣いている5月。

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私、しんどくて泣くようになったのって9月頃からだと思っていたのですが、このときから割と泣いていましたね。笑
プログラミングというお仕事と、各店舗からかかってくる電話対応にも、本格的に取り組み始め、前者については隣の教育係の上司に、後者についてはそれぞれシステムの専門の上司に教えを請いに行く時間が増えました。
そうやっていろんな方とお話をするうちにひとつ、気づいてしまったのです。
私、この教育係の上司、苦手だ…………。
人それぞれ、得意不得意や好き嫌いはあると思います。しかし、この、"専門外の知識を教えてくださる人"が苦手、って、なかなかきつい。私が必死に勉強して、ここまでわかった!となったところで、「じゃあ次これわかる?まだわかんないかあ…笑」がこの先何度も続きます。上司がI like an apple. と言ったのを理解して、私がI like an orange. と言えた!やった!と喜んでいたところに、私の喜びは無視されて「じゃこれ疑問文にしてみて」と言われる。そんな絶望感です。

 

●ことばが伝わらず転がりつづける6月。

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本格的なプログラミングのお仕事が始まってきた頃で、このときの私はもう、自分で何をやっているかよくわかっていない状態でした。そのため、質問しようとしても、自分がどこまで理解をしていてどこからがわからないのか、を整理するのに時間がかかり、どの部分がなぜ理解できないのか、を上司に伝わることばで説明する、ということが苦しくてたまらない。
さらに5月末か6月の頭になんとかひとつプログラミングの一連の流れが終わり、若干の達成感に浸ってたところで、「今後このタイプのが多いけど、じゃああれとこれもひととおり経験だけしておこうか、大丈夫、似てるし」みたいになり、私の頭はパニックに。なんとか英語の平叙文と疑問文と否定文を覚えた私に、とりあえず仮定法も覚えてみよっか!みたいなかんじです。いやいや………。

 

●仕事外で1回精神がパーンと粉々になった7月。

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7月はね、正直お仕事のことほとんど覚えてない。笑
サービス残業をし始めたくらいかな。
趣味で自主映画の制作のお手伝いをしていて、その撮影が11日にあったのですが、その現場で、あ、自分の考えって他人には理解し難いものなんだ、理解されようとすると私の嫌いな方向にねじ曲がってしまうんだ、それが嫌だって暴れることで、私は人を傷つけ、人と離れることになっているんだ………、と社会不適合者であることを改めて自覚したのでした。人生の中でこの日だけ、「死にたい」ではなく「死ねる」と思った。それくらい自分にとってはショックが大きい1日で、そのまま1週間くらいはほぼ毎日のように泣いていましたね。

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(↑これはそのとき撮った作品ではなく、ここで受けたショックをそのまま衝動的につくったもの。)
あ、そう、あとは、映画制作に全勢力を注いだあと、虚無な気持ちになったというか、好奇心旺盛であるがゆえに何を我慢して何を全力でやるべきかがわからなくなって、目の前が真っ暗になったこともありました。

 

●松竹座に通い詰める8月。

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サマスペ終わりのフォロワーさんに会いに行くという目的でサービス残業を合法化していた8月(合法にはならん)
相変わらず教育係の上司とはことばが噛み合わず、在宅勤務のときはいつも泣いていたようです。あとは、9月中旬に資格試験を受けることが決まっていたので、その勉強をしなきゃ、と思いつつ、言語学に逃げていました。じてんしゃじでんしゃ論争もこの時期かぁ〜、懐かしいなあ。

 

言語学熱が異様に高まった9月前半。
(こっからひと月を前後半で分けていますが、大きな理由はなく、ただひと月に100以上の鬱々ツイしててまとめきれなかっただけです…本当にすみません………)

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資格試験がちょうど14日くらいにあったのですが、なかなか集中できずしばらく言語学をやりまくる日々。しかしふと、「これってストレスの反動……?」と気づいてしまった私(と私の最強シンメみーさん)。1回気づくと、あ私仕事でめちゃくちゃストレス感じてるんだ…って自覚するようになるし、言語学をすることにも罪悪感を抱くようになってしまい、負のループが始まりました。
また、(もちろん資格試験前だったから、という理由もあるけれど)自分の趣味の楽しみ方が受動的になってきたなあ、って思い始めたのもこの頃でした。録画してる番組はたくさんあるのに、ぼーっとYouTubeを見る、みたいな、手軽さに身を任せるように。

 

●虚無で微熱に悩まされる9月後半

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資格試験が終わり、やっと自由に言語学ができるぞ!となったはずなのに、やる気が出ない。活字を読む、という気力がなく、ぼんやりしたりお昼寝したりすることが増えました。
お仕事は相変わらず、隣とその隣の上司おふたりの悪意のない棘棘しいことばを必死にこらえながら目の前にある仕事をひとつずつ進めておりました。あとこの辺から特に、2つ隣の上司さんが冗談めかして「これ説明わかりにくかったら遠慮なく言ってええねんで?言語学的におかしいと思います!とかどんどん言って」みたいな煽り(煽り?)をするようになってきて、きっとその人なりのコミュニケーションの取り方なんだろうけれど私的には終始真顔で素通りするので精一杯でした。
そして家では、夜(特に次の日出勤の休日)に微熱が出るようになりました。この微熱モード、大学3回生の終わり頃にもあって、結局原因よくわかんないんですけど、たぶんストレス。あとは眠たいのに夜中に途中で起きてしまうことが増えました。今までは朝まで熟睡だったのに……

 

●フォロワーさんの助言によりようやく病院に行く10月前半。

 

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もうもはや仕事内容がどう、みたいなことほとんど言ってないんですよね。ようやく自分が生きるの下手なことを思い出したというか。
ただ対人関係をうまく築けなくて、自分のことばがどんどん空っぽになっていって、それでも必死に届けようとして届かなくて涙が出て止まらない、そんなかんじ。やらなきゃいけないこともやりたいこともできなくて、そんな自分が嫌になって、でもどうしようもできなくて。
で、10月18日に心療内科に行ったわけです。
診断してもらって、症状に名前がつくことで安心する人もいると聞きますが、私は逆でした。抑うつ状態と診断されて、抗不安薬と入眠導入剤を処方してもらって、それで?って思っちゃったんです。これで何が良くなるんだろう、生きやすくなるのかな、そんなわけないよな、って。もしおくすりで私の中の何かが変わったら、今まで私が大切にしてきたものが壊されるんじゃないか、って。とにかくぐるぐると不安。そして副作用でぼーっとするし頭が働かないしで在宅勤務を早退。

 

●限界を迎えた10月後半。

 

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こうやって見ていると、よく生きてたね…っていうかんじがします。笑
微熱は続くし、副作用で足元フラフラするし、頭の回転は遅くなるし、まわりからは「仕事量たくさんでキャパオーバーしちゃったのかな?いつでも相談してね?」みたいな空気出されるし。
で、これまでは、サマスペや松下さんのライブに当たったときに、そこまで生きるぞ……!って思えていたのが、10月25日、JUMPさんの当落を見て素直に喜べなかったことに自分で衝撃を受けました。当時の私は虚無になることで自分の感情を守っていたのかなあ、と思います。
まあそんなわけで、会社をお休みする期間に入ったわけです。

 

●食欲不振とコミュニケーション不足を知る11月前半。

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基本的に"働くこと"自体は好きな私、こんな長期休暇を得たのが久しぶりでかなり戸惑いました。そして「私、働いてないんだし、栄養摂る必要なくない?」という謎の思考が生まれ、食欲がズドンと落ちました。
この辺は…まあそんなかんじかな。おっきなできごともなく。で、ここから東京の友人宅に居候することになりました。

 

●寝転がり続ける11月後半。

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徒歩5分にドンキもコンビニもある便利な田舎の友人宅で、毎日ずっとゴロゴロしていました。
深い考えをする余裕もなく、ことばを紡ごうという意欲もなく、ぼんやりと、このまんまだったら生きてても死んでても変わらないのになあ、もっかい社会に戻れるのかなあ、と考えては泣いていました。
あ!!!初めてあっとほぉーむカフェに行っていつかさんに出会ったのもこの時期です!!!会いてえ……
というか、ここから12 月前半にかけてはたくさんのフォロワーさんが会ってくださいました。本当にお世話になりました。
病院に行くために月に数回関西に戻っていたのですが、自分の部屋に戻ると一気に黒い感情がどわああってなりました。生活の染み付いた部屋だからこそ、同僚の顔とかも思い出しやすく、他の人たちは今頃バタバタと働いているんだろうな…と思うと悔しさやら腹立たしさやら情けなさやらで泣きまくってました。

 

●自分のことばが生きている瞬間に久々に立ち会った12月前半。

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11月終わり頃から12月のはじめは、どうやったら死ぬことができるか、とかを真剣に調べていました。笑劇はありがたいことに1公演当たったのですが、3月まで生きることを考えると素直に喜べなかった。
おくすりの効き目もあまりわからず入眠導入剤飲んでもすぐ起きちゃうし気持ちは鬱々しているし、と思っていたところにおくすり増やします〜ってなってさらにどよん……とする私。
ことばについての出来事は2つあって、ひとつは大好きな作品の監督さんと役者さんにお手紙を渡したこと。もうひとつは以前はてブに書いたエイトさんのライブ。この2つの出来事で、久しぶりに「私の中から生まれたことばが、生きて相手に伝わっている…!」という喜びが生まれ、ある種執着にも近い誇りを持つようになりました。何かにつけてことばにして残しておきたい、と思うようになり、スマホのメモアプリにとにかくことばを並べる日々。
そんなかんじで、私の東京居候生活が終わりました。

 

●少ない予定を黙々と潰していく12月後半。

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約1ヶ月ぶりのひとり暮らし。
マジで、1日が長い。
ベッドと私の身体に磁石でも仕込んであるんか?ってレベルでベッドの上から動けず、浅い眠りを繰り返し、悪夢を見て起きる、みたいな。
予定があったり買い物の必要があったりすれば動けるけれど、それ以外は完全なる引きこもりと化していました。
また、自分はことばを紡ぐことが好きだ、と自覚すればするほど、その過敏さが自分を傷つけて自分を生きづらくさせていることに気づき、未来を考えるのがとにかく嫌。あまりに鬱々しすぎて狼煙期間中はTwitterログアウトしてました。
あ、あと、31日と明けて2日3日は、元バイト先のお手伝いに行ってきました。3〜4時間の立ち仕事はかなり久しぶりだったけれど、とにかく楽しかった。私が生きられる場所ってここだなあ、って思った。

 

●そして1月。

このモーメントをまとめ始めたのが年末だったもので、あまりに自分のツイート数が多いのでなるべく鬱ツイをしないよう心がけました。
なのでここからは直書きというか、日記みたいな感じ。

1月1日
カウコン見てふぉ〜ゆ〜さんのLINE LIVE見て寝て、HiAぇ島動画見て、まあヲタ活してましたね。

1月2日
お昼までダラダラして昼過ぎから夜までバイト。これがとにかく楽しい。でも明日までしかこの居場所がないのかと思い、帰り道は泣きながら歩く。再びTwitterログアウトする。

1月3日
以下同文。
バイト終わりに、店長さんと社長ご夫妻と4人でご飯。幸せ。と同時に、迫りくる"終わり"がジワジワと心を蝕む。帰り際、「またね!」と言われたことに対して「また遊びに行きます!」と返せない。
店長さんとは途中まで電車が一緒だったので、ポツポツと話す。先に降りる店長さん。残りの10分間くらい、電車の中でひとりでひたすら泣く私(不審者)
家に着いて改めて泣く。私の生きる目標、私の生きる場所がなくなってしまった、という凄まじい喪失感で涙が止まらなくなる。そのままベッドに倒れ込む。

1月4日
生きる気力がない。ずっとベッドでゴロゴロしていたせいで、配達員さんに「おやすみなさい〜…」と言ってしまう。
辰巳さん×正門さんツーショ写真で私の好き顔はこれや……と実感する。

1月5日
死ぬなら今のうちだなあ、と考える。
オーストラリアから楽くんのお写真とメッセージカードが届き喜んでいたところに河下楽さんのかんじゅ日誌が来て泣く。どうせ死ねないならAmBitiousがどれくらい異次元のスピードで進化していくのか見ていきたいなと思う。
辰巳さんのLINE LIVEで「2022年もふぉ〜ゆ〜を頼ってください」ということばにボロ泣きする。

1月6日
病院に行く。ちょっとおくすり変わる。
少しだけお部屋の片付けをする。

1月7日
高校のときの演劇部の引退公演のDVDを見る(なぜ)
パソコンが立ち上がらなくなりこのブログを1から書き直す。
辰巳さんのドライブデート回LINE LIVEを見る。
薮さんのジョセフが当たったものの、5月まで生きることを考えたくなくて一旦入金せず置いておく。

1月8日
なんもやる気が起きなくて、余ってたおくすりをかき集める。
お昼の15時過ぎくらいに、ほぼストレートのウイスキーで通常の夜に飲むおくすりにプラスして抗不安薬15錠くらい入眠導入剤15?20?錠くらいと、抗うつ剤3回分を飲む。飲んじゃった、って報告を某フォロワーにし、心配をかけているのを他所に爆睡(たぶんおくすりではなくアルコールのせい)(心配かけてほんとにごめん)。22時半くらいに起床。そのままフォロワーさんと4時まで電話。

1月9日
昨晩の記憶のないうちにいろんな場所にぶつかったらしく脚があざだらけになっている。
1日ダラダラと過ごす。そんな簡単には死ねないのか、と思ってジョセフの入金をする。

1月10日
昼過ぎまでダラダラと過ごし、謎にメイクをちゃんとして買い物に出かける。
8日に飲んでいなかった余ってる抗うつ剤が7錠くらいあったので、夜ご飯後ハイボールで飲み、あとは使用期限2020年8月の総合風邪薬(基本は1回3錠)があったので、適当に一気に飲む。夜中に一度目が覚め、喉がイガイガするなあと思ってまたその風邪薬を6錠くらい飲む

1月11日
風邪みたいなだるさと喉の痛さ(風邪じゃないのにおくすり飲んだからね)
たぶん120錠くらい入っていたはずの風邪薬の瓶の中身が残り20錠くらいになってて、私昨日どんだけ飲んだんだ……?と思う。
夜、やっぱりまだ喉が痛かったので、風邪薬を7錠飲む

 

………こんなかんじでございます。
ここからみなさんが何をどう感じるかわかりません。不快にさせたらごめんなさい。でもこれが私の現実。

 

●今の私。

ここからは自分の思考を整理するために、文字化する場所。

 


私のスタンスこれなので。

 

今の私は、生きるのやめたいなあ、って思っている。
正確に言えば、今のこの社会の隅っこに居続けていいならそうしたいなあ、ってところかな。

お医者さんや産業医の先生、人事担当の方は、仕事内容が慣れないものでしんどかったのがいちばんの要因だろう、と考えているみたいだけど、はたして本当にそうなのかな?もう少し仕事内容がわかりやすかったら、同じ職場環境でも生きていけたのかな?

4月前半の様子でわかるように、私はもともと人間の集団が苦手で、"会話"が苦手で、人間を信用するのが嫌だ。護身のために他人と適切な距離をとって、上辺だけの関係性でなんとかしていきたい、と考えるような人間だ。

でもそんな人間、おっきくて制度化された社会には合わないんだよね。
わかっている、つもりだった。
だからそんな人間性が見えないように仕事面で成果を出せればいいなと思っていた。仕事ができれば文句は言えないだろうから。

それが、失敗した、だけ。
仕事の成果で護られるはずだった私の人間性はいま、ボロボロになってしまった。


私のことを好きだと言ってくれる人がいる。
味方だよと言ってくれる人がいる。
生きているだけでえらいと言ってくれる人がいる。
私のことばが好きだと言ってくれる人がいる。
心配してくれる人がいる。
私が死んだら悲しんでくれる人がいる。

 

その気持ちに、私は何を返せばいいのだろう。

 

画面の向こう側から好かれたって、私の生きる場所が生まれるわけじゃない。
私の限られたことばで飯を食っていけるような世の中じゃない。
周りにいる人のことを"信じて"、自分がどうやったら生きていけるかを"努力して"探さないといけないんでしょ?

その"信じる"とか"努力する"とか、それができないから社会不適合者なのにさあ。

 

何か、生きる活力になるものがあればよかった。
私の友人は、まあこんなかんじで、私が死にたいって言ったときに、死なないでとは言えないし言わない、って言ってくれた。彼女も死にたがりだけれど、表現の世界で自由になれることに魅了され、コツコツと努力を積み重ね、心の中ではもうじゅうぶんだよーって思いながら、舞台の上で輝いている。自分の居場所を、自分でつくっている。
ある映画監督さんは、「脚本は遺書で、制作期間は生きる猶予だ」とおっしゃっていた。生きろ、ということばは残酷で、でも自分の生命に変えてでも作品を愛しぬく、と決めていらっしゃる方だ。

私にはそういった、確固たるなにか、がない。

推し、はたくさんいるけれど、生きる目標にはならない。
言語学、は好きだけど、今はまだ手を付けられるような気持ちではないし、若干怖さすら抱いている。
お仕事のやりがい、が持てれば、きっとそれがいちばんなんだけど。堅苦しいほどの社会的で虫唾の走るような復職の道のりを乗り越えられる気がしない。

だから私は、もう、生きるの辞めたいなあ、って思う。
無意識に手元にあるおくすりたくさん飲んで、このまま死んじゃえばいいのに、って思ってしまう。
これはうつの症状なのかな?抑うつ状態だから死にたいってこんな簡単に口にしちゃうのかな。

 

死にたがりなんてもっと昔からだよ。

 

●終わりに。

ここまで読んでくださった方がいるかどうかわかりませんが、もし辿り着いてくださった方がいたら、本当にありがとうございます。

私は、ここにある感情をこうやって書きことばにするのに、1週間以上かかりました。
書いては気分が落ち込んで寝て、少し書いてはYouTubeを見て。
きっと"話す"という行為になれば、この10分の1も伝えられない。なんとなく、ヘラヘラっと誤魔化してしまう。さっき口に出して音読してみただけで涙出てきたし。
多重人格かのように、このはてブを書いている途中でも私は呑気に壁に飾ってるうちわを見て「クソぅ、山田涼介は今日も顔がいいな!」とか思ったりしています。

 

それでも、このブログには、嘘はない。
書きことばとして全力を尽くした、抑うつ状態の私がこれだ。

 

書いてスッキリするわけでもないから、また今晩、部屋中のおくすりを集めてウイスキーで飲んでしまうかもしれない。
痛いのは嫌いだから飛び降りたりはしないつもりだけど、酔った勢いで皿を投げ割ったりするかもしれない。
仮にこのブログを読んで何かことばをくださった方がいたとしても、受け入れられず、スマホを叩き割るかもしれない。
正直、10日に風邪薬を過剰摂取してから、今後自分が何をしてしまうかわからなくて、自分でも怖い。
でもそんなことは今どうでもよくて。

話すのが下手な私は、自分で自分の傷を抉って、原因とか負傷期間とかを推測して、今後この傷を治療していけるのかなあ、って、自力で来れる場所まで来ただけだ。


私はここから、生き延びる手段を、知らない。

 

2022.01.12