自分のために、"好き"を大切にしよう、って思っているお話。

●はじめに。


これは、私があらゆる沼に落ちる自分を認めてあげるためのブログです。


……なんの脈絡もなくすみません。
ちょっと、なぜか突然文章書きたい欲が沸き上がってきてしまったのです。
お時間あればお付き合いください。


●自分の"好き"に誇りを持って生きていたい、という気持ち。

これは、私が常日頃から思っていることです。

なぜそう思うようになったかは、うーん、たぶんいろんな要因があると思います。

大きい要因は、実家暮らしだった頃の反動かな。

私は中高と演劇部でめちゃくちゃ楽しく過ごしていたのですが、母親はあまりいい顔をしませんでした。たぶんですが「演劇=打ち込んで他のことが見えなくなる」みたいなイメージがあったんだと思います。
進路についても私の意見と違うことが多くありました。最後の最後まで私の意志とは違うことを言われ続けて、ただでさえメンタル疲弊しているのになんで…、とよく思ったりしていました。
中学生のころはアイドルが大好きで、AKB、SDN、エビ中スパガ、チキパ、ポッシボーさくら学院、などなど女性アイドルをゆるーく応援していましたが、それを親に言ったことは一度もなかった。
だって、否定されるから
ご飯食べながらMステの録画を見ていて、エイト兄さんはじめジャニーズのときに「あー、飛ばすね」って勝手に飛ばされることも毎度のことでした。私はそれをわざわざ、「いやだ!見たいから飛ばさないで!」っていうほどの強さもなかったですし、一緒に見ながらやいやい言われるのが苦痛だったので我慢するしかなかった。

こういうときに、文句を言うのは簡単だと、私は思っています。
人の趣味を踏みにじらないでよ、なんでわかってくれないの、私の意見も聞いてよ、って、そう言うのは簡単で。まあ実際そう思っていた節もなかったと言ったら嘘になります。
でも、どこかで、当時の自分は自分の持っている"好き"という気持ちに自信がなかった、っていうのもあって。
可愛いから、かっこいいから、面白いから。もちろんそれでじゅうぶんなのかもしれないけれど、そのときの自分はそれを親をはじめ他人に伝えるだけの熱量と説得力を持てずにいた、というか。
だからずっと、こっそり、よくないものを嗜むかのように、自分の好きなものを隠れて楽しむ日々でした。

それが、大学に入りひとり暮らしをはじめたことで世界が一変しました

好きなお芝居を観に行ける。
好きなアーティストのライブに行ける。
レイトショーの映画を観に行ける。
役者さんや監督さんとお話をする機会に巡り合える。
同じ趣味を持つ方々と一緒に盛り上がることができる。

とんでもなく私のこれまでの世界が狭かったことを知りました

たったそれだけで?と思う方もいるかもしれません。
でも、本当なんです。
自分の好きなことがあって、それを追いかけることで少しだけ日常生活の"外"に出ることができて、そうするとこれまで出会ったことない人にたくさん出会えて、自分の想像したこともない経験をされた方々のお話を聞いてまた世界が広がって。もともとの好きなことからは最終的に外れているような新しい世界まで知ることができたんです。

そうして、私は、自分が好きなものを追いかけていることが、自分にとってとてつもなくプラスに働いていることを、はっきりと自覚しました。

仕事と趣味、という対比をすると、どこか趣味は蔑ろにされがちで。
リフレッシュのためのもの、ストレス発散、イマドキのことばで言えば"不要不急"なものだと扱われることもあって。
でも、私にとってはそんなもんじゃないよ、って。

好きな役者さんがいて、その人が出演するドラマを見て自分の知らない職種や経験したことない感情を知ったり、その人のインタビュー記事を読んで自分の価値観を改めて考えさせられたり。
好きなアイドルがいて、その人が出演するバラエティ番組を見て立ち居振る舞いの仕方に尊敬する点を見つけたり、年齢が近い方だったら、自分と同じ時間を進んでいきながら変化を見せてくれることに刺激を受けたり。
もちろん人だけじゃなくて、たとえば言語学だって、いろんな知識を身につけるほど人と話すこと、人の話を聞くことが楽しくなってくるし、相手への伝わり方や相手のことばの伝えたい意図を人一倍考えながら会話できているんじゃないかな、って思うと、きっとそれって前向きな変化だよなあ、って感じる。


ものすごく長くなってしまったけれど、だから私は、自分の"好き"という気持ちには常に胸を張っていよう、って、思っています。
誰にも否定させねえぞ、って気持ち。


●他人の"好き"にも敬意と興味を持っていよう、という気持ち。

上記の内容の延長線上、というかんじなんですけど。

"好き"という感情と、それを伴う行為が、自分にとってとても有益なものであるのかと気づいた私は、自分の気持ちはもちろんだけれど、他人の"好き"も大切にしたいな、と思っています。
とはいえ、応援の仕方が自分とは違っているとか、魅力的なのかもしれないけれどどうしても苦手とか(私は痛い描写とか心臓に悪い描写が苦手なので、どれだけ素敵でもホラー作品は応援できねえ…みたいな)、そういうことはあります。
それでも、その人が何かを好きでいる姿は絶対否定したくないし、その人が自分の好きなものに対して誇りを持っているんだなあって感じると、素敵だなあって無条件にその人のことを好きになってしまいます(単純すぎる)

もっと言うと、その人が胸を張って好きだと言っているものはどんなものなのだろう、と興味を持つようにしています。
時間やお金の都合で深堀りできるときとできないときがありますが、そういうふうにして自分の世界を広げていくことができたら、とても素敵だと、私は思っているんです。

自分の価値観、自分の見ている世界が絶対的なものではない、って思うようにすればするほど、じゃあどんな世界があるんだろう、って気になって、ふと目についた他人が語っているものが輝いて見えたらすぐに手を伸ばしてしまう、なんかそんなようなかんじ。


●だから沼が増える。

 

……今、ここまで読んでくださった方が、一斉に眉をひそめる姿が脳裏に浮かびました。
そういうまとめでいいのかよ!?と思われた皆様、

いいんです。そういうブログなので。


一途に、ひとつのものを好きでいつづけることができる方は、本当に素敵だと思っています。
でも、誤解を恐れずに言いますが、「一途でいることが最大の愛情表現ではない」と私は思っています。
(あ、いや、愛情を向けられる側にとっては一途でいてくれたほうがもちろん嬉しいのかもしれないですけど。そのへんはわからないですが。)

"好き"っていう感情があればあるほど、自分の世界って思ってもみない方向に進んで、ひらけていくんです。きっと、私もまだ知らないくらいの方向に。どんどん。
だから私は、ただただ自分のために、"好き"をたくさん抱えていたいなって、思っているんです。
他人がどう言おうと知ったこっちゃねえ。私は自分のために、自分の世界を広げたいんだよ。って。


私はたぶん、一途に何かを好きでいることが苦手なのだと思います。
だってもし何かのタイミングで失ってしまったとき、立っていられないからね。
でも、そういう後ろ向きな理由から浮気性(あえてこういう言い方するけど)なわけではないんだよ、っていうことが、少しでも伝わればいいな。


●おわりに。

最後までお読みくださったみなさま、ありがとうございます。
なんだか衝動的に書いたはてブでございました。

好きな人、好きなもの、好きな学問、好きな仕事、
どういう姿勢でその"好き"に向き合うかは、人それぞれだと思います。
私は他人のそれを否定したくないし、自分のその姿勢を否定されたくねえ。

だって所詮好きって気持ちは自己満足なんだもん。

そりゃもちろん、自分の"好き"が本人に届いてなにかエネルギーになったらそれほど幸せなことはないけれど、届けるために何かを好きになるわけではないな、って、私は思っています。届くかどうかはあくまでプラスαの物語でいい。

私は、自分の好きなものにしっかりと誇りを持っているし、
たとえそれを他人に理解されなくてもいいけれど、絶対に否定はさせない

そういう、ひとつの自己表明です。


こういう人もいるんだなあ、って思ってくださる方もいるかもしれないし、自分も似ているなあと思ってくださる方もいるかもしれない。もし誰かひとりでも、よくわかんないけどちょっと心軽くなったかも!って思っていただけるようなブログになっていたら最高ですね。

 

ではまた。気が向いたときに、思い出したようにつらつらと書きに来ます。
ありがとうございました!