菅原裕一の持つ、憎むべき純粋さのお話。~『裏切りの街』感想~

●はじめに。

『染、色』以来の観劇感想ブログです。
髙木雄也さん主演の『裏切りの街』について。

あらすじを書こうとしたけれど、表面だけ追っても偏ってしまうし、詳しく書くとあらすじだけで5000字とか余裕でいきそうなので、割愛しました。たぶん、未観劇の方でも、読んでいる間になんとなくわかると思います(未観劇なのにこのブログ読む人いないか…)。
作品を観劇した方であれば、スルスルと読めるかと思います。納得できるかは別で。

あくまで私の個人の気持ちの整理。作品を言い訳にした自己主張と文章書きたい欲の消費。

●参考までに。

公演前、髙木さんのインタビュー記事には、裕一について以下のような記載が多かった。

「ヒモのような生活をしているフリーター・裕一と平凡な主婦・智子の物語で、(中略)お互いパートナーがいながら出会い系サイトで知り合い、なにかを求めるわけでもなく、ただ逢瀬を繰り返すだけ」
(宝島社『TJ MOOK CLUSTER』2020/5)

「菅原裕一は、定職に就かず彼女の自宅に住み込んでいる、いわゆるヒモ状態なのに、出会い系サイトを通じてほかの女性とも関係を持ってしまう男性」
東京ニュース通信社『TVガイドperson vol.114』2022/2)

「髙木が演じるのは、無気力なフリーター、菅原裕一。彼女の里美と同棲しているにも関わらず、出会い系サイトで知り合った専業主婦の橋本智子と不毛な関係を繰り返していく。あっている意味を深く考えず、恋人を「裏切る」という行為の罪悪感に苛まれることもなく、覇気のない毎日を過ごすという、いわゆるダメな人間」
産経新聞出版『TVnaviプラス STAGEnavi vol.65』2022/2)

●裕一と智子の愛情。

裕一がクズと言われる所以は、自分は働かず彼女である里美からお小遣いをもらったり、智子の夫である浩二のお給料をあてにしたりする、金銭的な部分が大きい気がしている。これは、クズ擁護派の私も、好きなことするならその金は自分で稼げや!と思わなくもない。ただ、彼女のいる裕一と、夫のいる智子が関係を持ったことに関しては、私はクズだとは思わない。社会的、法的に見たら、とかは一旦度外視して、ふたりの人間が何をしたのか、相手のことをどう思っていたのかを考えると、至極自然に思えてくる。
たとえば初めて会ったときからそうで。話を合わせているわけじゃなく似たような生活をしていたら、そりゃ一緒にいてもペースが同じで楽だと思う。テレビを見ていて同じタイミングで笑える、それって些細なことみたいだけど空間をともにするための条件として大切なことのひとつであるような気がする。誰かが笑っているときに自分も楽しければ楽しいけれど、自分と比較して卑屈になったり相手を羨んだりしてしまうとしたら、一緒にいるのはつらい。
この作品内で避けて書くことのできない、性行為についても。序盤、裕一は彼女の里美とセックスしたときに、最後までイケずに「あれ…ごめん…」ってなる。その一方で、性欲がないわけではなく、里美がいないときはパソコンでAVを見てひとりで自慰行為をしている。智子にとって、夫とのセックスはあくまで【子どもをつくる行為】になっている。気持ちいいかどうかよりも、その"結果"が求められている。子どもができるか否かは智子が選択するものではないが、台詞の端々から、子どもが生まれたときの負担を少なからず考えていることがわかる。妹の言う"諦め"をまだつきたくなかったのかもしれない。そんな2人にとって、責任の生じない、お互いが気持ちよいセックスは、純粋な快楽だったのだろう。互いにパートナーへの罪悪感を抱きながら、それでもパートナーが持っていないなにかを目の前の相手が持っていることに、欲を抑えなかっただけのことだ。行為後の裕一の「……イッちゃいました…」、智子の「あの……気持ちよかったです…」の台詞には、幼さすら感じる。
裕一と智子のあいだに子どもができたとき、2人は産むという選択肢を初めから排除していたのも、2人にとってセックスが【子どもをつくる行為】ではなかった、という認識の一致なのだろう。もちろん、生まれ来る生命に対して、堕ろせばいいだけで大事にならなくてよかった、って言う裕一は無神経のクズだと思うが、お互いに子どもを産み育てる覚悟も責任も期待も持っていないことを自覚していたことは不幸中の幸いだったのかもしれない。

と、途中までは裕一と智子の関係性は、無責任に快楽を得られることで結び付けられていると思っていた。日常のストレス発散であり、ある種のセフレ。それを自分では働かず人の金でしているからクズに見えるのだと、思っていた。

しかし、ラストシーンで、私は少し違う感情を抱いた。

そもそも、堕ろす金は自分で払う、と言ったくせに4ヶ月も智子からの電話を無視していた裕一は、何を考えていたのだろう。払えねえ…って逃げていた、といえば簡単にクズだと言えるが、そうではなかったのでは、と私は思っている。今日で会うのを最後にしましょう、と言った日、結局裕一は智子に甘え、泣きつき、セックスをした。裕一にとってあの頃もう、智子は、ただの遊びの「おばさん」ではなく、安心して甘えられる、受け止めてくれる特別な存在になっていたのだろう。だから自分勝手に、会ったらまた甘えて、また抱いてしまうから、距離をとっていたのではないだろうか。推測にすぎないけれど。
空白の4ヶ月間、裕一は、いない智子のことを考え、智子は、裕一のこと、そして夫とのあいだに産まれたとされてしまうお腹の中の生命のことを考え続けていたのだろう。そして、雪の中、初めて会ったときと同じ場所で、お腹の大きな智子と、それに驚く裕一は、いつもと同じベンチに座る。智子のお腹にいる子どもは、智子と裕一の、子どもだ。それは2人も、そして智子の夫の浩二も、わかっている。わかっているのに、裕一は父親にはなれない。いや、違うな。裕一はこの子どもの父親になりたいとは思わなかっただろう。ただ、智子が母親になってしまうこと、"浩二とのあいだにできたことにされる、智子と自分のあいだにできた子どもの母親"になってしまうことに、少なからず後悔を持ったに違いない。なにもできないことをわかっていながら「俺に何ができますかね、もう、遅いんすけどね」という台詞にその心情が見えるように思える。
この日、結局なぜ裕一は4ヶ月ぶりに会おうと誘ったのだろうか。智子は子どもを堕ろしているだろうと考えて金銭的な話でもしようとしていたのだろうか。真意はわからない。ただ、おそらく、本来の目的は達成できていない、というか、どうでも良くなってしまっていたと思う。

雪の降る寒い中、ポツリ、ポツリと話す2人。「そろそろ帰りましょうか」と裕一が呟くと、「まだ帰りたくないでしょう?」と智子に本意を気づかれ、「はい」と照れ笑いする。一緒にいたいと言ったわりに「……でも話すことなんもないっすね」と話題を見つけられない。ふと、「そういえば、俺らお互いのお名前知らないっすよね」という、いまさらすぎる事実に気づく2人だが、裕一は名乗ろうとしたところでフッと笑い、「いっか、名前なんてどうでもいいですよね」「そうですね、どうでもいいですね」と、また沈黙を生む。

このシーンが、私は狂おしいほど好きだ。この作品に似つかわしくないくらいのピュアな感情が見える気がするのだ。同時に、付き合うとは、結婚とは、不倫や浮気とは、そもそも恋愛感情とは、"好き"とは、一体誰が決めたカテゴリで、なぜ縛られているのだろうか、とも考えるシーンでもある。
寒くても、話すことがなくても、ただ隣にいたい。これから自分たちが結ばれることはなにがあってもありえないことをわかっていて、それでも一緒にいる空間に安堵感を抱いている。名前、という個を表す数文字がなにも意味を為さない、そのひとの存在がそこにいるだけでじゅうぶん。裕一は、智子と一緒にいる理由を、「(智子も)ダメ人間じゃないすか、だから、怠けてても怒られないっていうか、この授業ラクできるぞ、って先生いるじゃなですか、そんなかんじです」、と言っていた。字義通り捉えると、クズだなあ、と思うけれど、自分が素のままでいられる、と言い換えれば、それは極めて普遍的な愛情の理由になるのではないだろうか。
智子はなぜ裕一といる時間を大切にしているか、明言はしていない。さらに、裕一と違って、これから先、もしかしたら裕一の面影を残しているかもしれない子を、自分と浩二の子どもとして育てるという、一生の罪を毎日眼前に突き付けられ、背負い続けることになる。それでもなお、雪の中で智子はずっと微笑んでいた。裕一の気持ちに寄り添う形を取りながら、智子もこの雪の中の時間をゆったりと、彼女自身のスピードで、過ごしているように見えた。
セックスもしない、キスもしない、手すら触れない。大きくなった智子のお腹に裕一が触れることもない。お互いに「あなたのことが好きです」と言うこともない。すべてが、なんとなく、なんとなくで進んでいる。けれども確実にあの空間には、純粋な"好き"の感情が溢れていた。相手のためかどうかではない、あくまで自己満足な、一方的なものではあるけれど、それでも互いが互いのことを"好き"でいるのだということが痛いほど伝わってくるシーンだった。一方的な"好き"の感情を互いにぶつけ、互いにぶつけられる。それだけ。その感情で相手や環境を動かそうとはしていない。そんな、雪のようにすぐ溶けてしまいそうな、"好き"。

「キリないっすね、帰りましょう、ほんとに」「そうですね、帰りましょうか」と言って、裕一と智子はベンチから立ち上がり、雪の中、ゆっくりと同じ歩幅で階段をのぼっていく。のぼりきって顔を合わせ、「じゃ」と小さくお辞儀をし、反対方向に進み出す2人。数歩進んで、振り返ると相手も同じタイミングで振り返っていて、互いに目が合う。微笑みながら駆け寄り、「やっぱりもうちょっといっしょにいません?」「もうちょっといっしょにいましょうか」「はい!」と、まるで無垢な子どもかのような笑顔でまた"現実から逃げる"裕一と智子の姿が暗転に消え、物語は終わる。

このラストシーン、初めて観たとき、心の中で叫ぶくらい私の中で腑に落ちる、というか、パズルのピースがぴったりはまったような快感を得るくらいしっくりきて大好きだと思った。演出によって、このラストはいくつか可能性があったと思う。
お互いが反対方向に進んで立ち止まるところで暗転、もあり。
振り返って目が合うところで暗転、もあり。
目が合って駆け寄るところで暗転し、暗転の中で台詞、もあり。
駆け寄って、ことばを交わさず抱きしめたり、キスをする、もありかもしれない。
ただ、いろんな可能性を考えた中で、この作品のラストはやっぱりこれがしっくりくるのだ。その理由には、前述した、純粋な一方通行の"好き"の感情、というものが大きい。自分に何かをしてほしいだとか、自慢したいだとか、セックスしたいだとか、誰でもいいけど人と一緒にいたいだとか、そういうものを全部取っ払ったような、結局何があっても知らないけどとにかくこの人と一緒にいたい、という自己満足な感情が行動に直結している。そんなふうに感じた。

●"好き"とは、付き合うとは、結婚とは、性欲とは。

私は以前から度々、「クズなやつ好き!」だの「不倫だ!(歓喜)」みたいな発言をしているけれど、この作品を観ていてもやはり同じで、というかむしろ見るたびに裕一がクズに見えなくなっていく恐怖現象が起こっていた。最終的にラストシーンで泣いていたのだから末期だ。一方で、終演後規制退場の中で、「さすがにクズすぎ」「よくわかんなかった」「途中寝ちゃった」という声も聞こえた。一緒に観劇をした方に感想を聞いてみたところ、彼女は第一声に「誰にも感情移入できなくて、そのおかげで俯瞰的にストーリーを追えた」とおっしゃっていた。
たぶん、この『裏切りの街』、捉え方は様々なのだろうなあ、と思う。私は、この作品を観て改めて、クズと言われるキャラクターの人間らしさだったり、付き合ったり結婚したりすることに"求められるもの"と誰かを好きになる"感情"とのあいだに生まれる溝だったり、を考えさせられた。

人を好きになる理由は、なんだってありで、矛盾することも少なくないだろう。
自分と似ているから好き、自分にないものを持っているから好き、自分を叱ってくれるから好き、自分を甘やかしてくれるから好き。"好き"にもいろんなカテゴリがあるのかもしれない。あまり使いたくないことばだけど、ともだちとして、とか、かぞくとして、とか、こいびととして、とか。
でも私は、私個人としては、まずこの時点では、性別って関係してこないよなあ、と思う。

付き合う、となると、"恋愛感情としての好き"は基本的にそのパートナーだけであるべきだと考えられることが多い。その考えの表れが「浮気」ということばや行為だろう。自分のパートナーが他の人と2人きりでいることを嫉妬するのも、付き合っていればある種正当な態度だと言えるし、パートナーに言わずに自分が他の人と2人きりでいると何も悪気や下心がなくても後ろめたさを感じるかもしれない。
さらに結婚、となると、現在私がいる環境では、法律的にパートナーは異性であることが必須とされ、複数人のパートナーを持つことは許されない。パートナー以外の人と一緒に過ごすことは、時として「不倫」と言われるだろう。

このあたりで、私の脳内は、モヤモヤしてくる。人間の恋愛感情って、ひとりの相手にしか注げないように仕組まれているんだろうか?そもそも、なんとなくポジティブな感情を私は"好き"と名付けているけれど、その"好き"の中で恋愛感情に当たるのはどれ?いや、もしかして"好き"と恋愛感情は別物?同性に抱いた"好き"はどうしたらいい?仮に、恋愛感情がひとりの相手にだけ注げるとして、じゃあその恋愛感情の中に性欲は含まれているんだろうか。パートナーがいるけれど、その人がつくる料理より実母がつくる料理のほうが美味しく感じて好きだ、という食欲の好みは許されるが、パートナーがいるけれど、その人とセックスするより他の人とセックスするほうが気持ちいいから好きだ、は許されない。もちろん、行為の結果、生命につながる可能性もあるわけだから、そう簡単に食欲と比較はできないけれど、でも、なんか、そういうモヤモヤ。

だから、と言ったら非常に突飛かもしれないが、私がいわゆるクズと呼ばれる人間や浮気・不倫をする人間が出てくる物語に惹かれるのは、このモヤモヤが原因だ。『裏切りの街』の裕一をはじめ、パートナーに対して傷つけようという故意なく(ここが重要)、ただなんとなく浮気や不倫をする人間って、付き合うとか結婚する、という形式よりも、感情に素直なだけで、私的にはそのほうが人間らしいと思ってしまうのだ。作品内で、智子の妹は「結婚するって諦めるってことでしょ」と言う。クズと呼ばれる人間は、諦めきれない、もしくは諦めるということを知らないただのピュアなのかもしれない、とすら思う。

●裏切る、逃げる、噓をつく。

作品のタイトルにも入っている、“裏切る”という行為。
そして、智子や、裕一の友人の伸二が口にする“逃げる”という行為。
そのどちらを行うのにも使用される、“嘘をつく”という行為。
この作品は、この三点を考えさせられる物語でもあったなあ、と感じた。

伸二は、裕一に対して、「お前、いろんなことから逃げすぎじゃね?」と言う。彼女の里美との関係、人妻である智子との微妙な関係、そしてアルバイトを休み続ける状況、そんなすべてを伸二は「向き合えよ!」と一喝する。

でも、“逃げないこと”は正解なのだろうか。
何を“逃げ”と定義するかは、その結果次第ではないだろうか。
例えば、裕一と智子とのあいだに子どもができた時点で、もしくは、自分たちが2人でいる空間に安堵を抱いていると気づいた時点で、2人で遠い場所まで“逃げて”しまえば、物語の展開は変わっていた。裕一は彼女を、智子は夫を“裏切って”、2人で貧しいながら暮らしていたら、どうだっただろうか。それをせずに、形式として正式な、彼女と、夫と、離れずに過ごすことを選んだのは“逃げない”判断だったといえるのか、と考えると、それはなんか違うなあ、と頭を抱えてしまう。

智子と裕一だけではない。夫の浩二も、彼女の里美も、アリバイ工作をしながら嘘をつき、裏切っていた。
浩二は、自分の妻と不倫をしていた裕一に対して、「実は俺にも女がいてさ」と話すシーンがある。そのまま、「あいつに愛情を注いでいるのは本当だ。でも他の女と会っているときはあいつのことなんてどうでもよくなって、結婚なんてしなければよかったとも思う、これも本当だ。本当ってのは、ひとつじゃないんだよ」と続ける。
里美も、「裕ちゃんと別れるつもりはまったくなくて」と口にする。そしてそれは、裕一も、智子も、浩二も同じだろう。別れるつもりはない。愛していることが嘘なわけではない。でも、浮気や不倫をすることで、結果として相手に嘘をつき、相手を裏切るという行為に見えてしまう。

なんか、なんだかな。
前述した、恋愛感情を注ぐ相手はひとりだけだと仕組まれているのか、っていう私の考えにも直結してくることで、嘘をついているわけではないのに、社会が求める像と比較したときに、その行為は浮気ですよ、パートナーに対する裏切り行為ですよ、って言われているだけ、というか。

うーん、書き始めたはいいものの、うまくまとまらないのでこの辺で。

●その他、箇条書きで。
まだこのブログ中盤くらいのつもりだったけれど、現時点で7000字を超えているので、あとは気になったところを。
・結局、斎藤くんって何者?本当の部下なら名前変えなくていいはずだし、「大丈夫ですか?」のとき、ものすごく怪訝そうな顔していたのが気になった。
・自分のことを棚に上げて相手に言わせる手口、みんなズルい。
 浩二→智子へ「智子、俺に話すことない?」
 智子→浩二へ「浩二さん、私に言うことありますよね」
 裕一→里美へ「俺に言いたいことあんでしょ、ちゃんと言って」
 伸二→裕一へ「俺に言いたいことあるよね」
・自分が妻といつ頃セックスしたか自覚あるだろうに、3ヶ月の子どもが智子のおなかの中にいることを知った浩二が「産んでくれるよね?」って言うシーン、サイコパス?「……もちろんです」「ありがとう。嬉しいよ。…行ってきます」「……行ってらっしゃい」のあの空気の重たさえぐい。
・周りの人間を使って自分は無実潔白の人間だぞみたいな嘘をつく浩二がいちばん腹立つわあ。
・初めて智子とラブホに来たときの裕一「一応彼女に罪悪感を感じちゃってて、後悔もしちゃってて、そんな自分って優しいなあって思って」って台詞、最初聞いたときはいやいやクズ!って思っていたのに、今となっては裕一の純粋さを表すことばにしか聞こえない脳内バグ。
・智子と浩二の敬語/タメ語のタテの距離間。
・裕一と里美はタメ語同士だけれど、テレビの音量下げてくれる?って頼まれたときの裕一が「あっすみません」ってめちゃくちゃアップシフトしていたの気になった。
・智子が子どもができたことを裕一に直接伝える大切なシーンの自販機!!!自己主張すな!!!そんな大事なシーンでレモラを売るな!!!

●終わりに。

JUMPさんを好きになり初めての現場だったけれど、千秋楽のカーテンコール以外、私は髙木雄也さんを見なかった。本当に、ただただ、私は、菅原裕一の姿と感情を追っていた。素敵な作品に出会えて幸せです。

今回のブログのタイトル、「憎むべき純粋さ」について。
私は昔から、「憎い」という形容詞が好きだ。
こころにくし、という古語は、憎悪の意味ではなく、奥ゆかしいというほめ言葉として使用されていたこともあり、単なる嫌な気持ちではなく、心のどこかで羨ましくて嫉妬してしまう、そんな気持ちを込めたいときに「憎い」を使う。
私にとって、菅原裕一は、本当に愛おしくて、憎い存在。

 

Griceさんに焼きマシュマロを食べさせるお話。

●はじめに。

こんにちは。こんばんは。
ご来訪くださりありがとうございます。

今回のはてブは久しぶりのガツガツ言語学でございます。
それもずっと前から書こう書こうと思っていた内容……

そう、Paul Grice:ポール・グライス さんについて!!!!!!

……誰やねん、と思ったあなた、正解です。大正解。
Griceさん、ザックリと言うと、人って会話を理解するときに基本的にはこういうことを守っているよね!ってことを提唱した言語学者さんです(有識者に怒られそうなくらい雑な紹介)

パッと聞いただけではなんのこっちゃと感じるかもしれませんが、日常的に私たちが会話を行う上で無意識に起こっていることを理論化したGriceさんと、その理論を起点にして発話の解釈や推論のはたらきについての研究を発展させた言語学者さんたちの研究内容、知れば知るほど、ことば扱う人間ってすげえ!人間めんどくせえことしてんな!もっと単純な脳みそに発達したかったな!でもおもしれえええ!ってなります、なるはずです。

このはてブの目的としては、
・Griceさんを始めとした会話の推意などに関する理論を私なりに噛み砕いて、初めて言語学に触れる人にも面白いと思ってもらうこと
・このはてブを読んだあとに「ってことは、あのときのあの会話って〜〜ってことか…!」とか、実会話に当てはめて楽しんで(?)もらうこと
クソリプや焼きマシュマロが来たときに心の中にGriceさんを住まわせることで無敵になる方法をお伝えすること
ってかんじです!

なので、万が一、ちゃんとした参考文献などを探してこのはてブにたどり着いてしまった方がいらっしゃいましたら、この記事は専門家が書いているものではないため、丸呑み信用はしないでください
最後に今回使用した文献リストも載せておりますので、このはてブを踏み台にして、専門書を手にとってみてください!


●きっかけ。

何度か「Griceさんのブログ書きてえ〜〜」ってツイートしていたのですが、最初のきっかけは、
相互フォロワーさんに来た焼きマシュ(いわゆる匿名で送られてくる間接的な表現の嫌味なおことば)です。
私の信念として、できる限り言語学の知識を攻撃に使用したくはないのですが、こういう出来事があると、正当防衛だぞオラァ、と治安悪い性格が出てきてしまいます。よくないですね。

でもおそらく、ですが、匿名性のあるSNSではもちろん、日常生活の中でも、「今のことば嫌味…?」とか、「そんなつもりなかったのに私のことばで相手を傷つけてしまった…どう言ったらよかったんだろう…」ってこと、あると思うのです。

なので、傷つく前に正当防衛として身を守る方法、無闇に他人を傷つけないための方法として、Griceさんたちを布教したいなあ、と思ったのが、きっかけです。


●先行研究その壱︰協調の原則 by Griceさん

まずはやっぱり今日のメイン、Griceさんのお話です。
初めにもご紹介したように、会話を行う中で発話の解釈をどのように行っているか、ということをCooperative Principle【協調の原則】として定義しました。

Make your conversational contribution such as is required, at the stage at which it occurs, by the accepted purpose or direction of the talk exchange in which you are engaged. (Grice1989: 26)

 ⇒会話の中での自分の貢献を、そのときに生じている段階において、ことばのキャッチボールの目的や方向性から必要とされるようなものにしてね!

なんかわかるようなわからないようなみたいな……
この原則、さらに4つの格率に詳しく分かれているので、とりあえずそっちを見てみましょう!

1.the maxim of Quantity
 (a) Make your contribution as informative as is required (for the current purposes of the exchange).
 (b) Do not make your contribution more informative than is required. (Grice1989: 26)

⇒1 量の格率
  (a) (今している会話の目的に)じゅうぶんな情報を話して!
  (b) 必要以上なことは話さないで!

ひとつめは話す内容の情報量について。
語りすぎるのも、語らなすぎるのもダメだから、ちょうどいい量の情報を含んだ発話にしてねー!っていうのが、こちらの量の格率です。

2.the maxim of Quality
 Try to make your contribution one that is true.
 (a) Do not say what you believe to be false.
 (b) Do not say that for which you lack adequate evidence. (Grice1989: 27)

⇒2 質の格率
  真実を言うように努力してね!
  (a) 間違っているって思っていることは言わないで!
  (b) ちゃんとした証拠がないことは言わないで!

ふたつめは話す内容の真実性について。
基本的には嘘をつかないでねー!っていうのが、こちらの質の格率です。

3.the maxim of Relation
 Be relevant. (Grice1989: 27)

⇒3 関連性の格率
  関係あること話そうね!

みっつめは話す内容の前後のつながりについて。
相手の話を聞かないで質問を無視したり、Aぇ担垢で突然松下さんの話をしたり()、えっ急になんの話???ってなるようなことを言わないでねー!っていうのが、こちらの関連性の格率です。

4.the maxim of Manner
 Be perspicuous.
 (a) Avoid obscurity of expression.
 (b) Avoid ambiguity.
 (c) Be brief (avoid unnecessary prolixity).
 (d) Be orderly. (Grice1989; 27)

⇒4 様態の格率
  ハキハキしてね!
  (a) 難しい表現はやめてね!
  (b) あいまいにしないでね!
  (c) (くどくどしないで)簡潔に話してね!
  (d) 順番に話してね!

よっつめは話す内容のわかりやすさについて。
話があっちこっちに飛んだり、誤魔化したりしちゃダメだよー!っていうのが、こちらの様態の格率です。

いかがでしょう?
原則とか格率とかいうと複雑そうですが、言っている内容は意外とシンプルで、わざわざ言われなくても…って私は最初感じました。
でもそれこそがポイントで、私たちことばを扱う人間は、無意識にその場の会話に応じて上記の内容を守りながらしゃべっていて、相手の発話も基本的にこの内容を守っていると信じて理解している、というのがGriceさんの提唱した大切な理論だといえます。

そりゃそうですよね…常に相手が嘘を言っているかもしれないとか、いつも必要な情報の半分しか言わない、なんてことになったら、コミュニケーションとして成立しないだろうと考えられます。

 

では、本当に人間は常にこの原則や格率を守った発話をしているのでしょうか?
下記の例を見てみましょう。

 

☆例1☆
(文脈…この会話の直前まで、特にハサミがメインの話題ではない)
01 A : ねえ、ハサミ持ってる?
02 B : うん。(うなずく)
     B' : うん。(ハサミを手渡す)

01行目のAは[ハサミを持っているか、持っていないか]という質問をしています。
それに対する02行目での応答として、Bは[ハサミを持っている]という返答をします。これは文字面だけでパッと見たところ、Griceさんの原則や格率を守っているように思われます。
一方、B'は、質問に対する回答ではなく、[ハサミをAに渡す]という行動で反応しています。質問とペアになるべきyesかnoの回答を発話上行っていないのです。

しかし、日常生活では、BとB'の反応、どちらがよく起こるか、というと、質問に対する回答をしていないはずのB'ではないでしょうか?

この現象を説明するために、Griceさんの続きを読んでみましょう!


●先行研究その弐:会話の含意の特徴 by Griceさん

Griceさんは、上記の協調の原則を述べたあと、この原則や格率があることによって、conversational implicature【会話の含意】を引き出すことができる、と続けています。

I am now in a position to characterize the notion of conversational implicature. A man who, by (in, when) saying (or making as if to say) that p has implicated that q, may be said to have conversationally implicated that q', provided that (1) he is to be presumed to be observing the conversational maxims, or at least the Cooperative Principle; (2) the supposition that he is aware that, or thinks that, q is required in order to make his saying or making as if to say p (or doing so in those terms) consistent with this presumption; and (3) the speaker thinks (and would expect the hearer to think that the speaker thinks) that it is within the competence of the hearer to work out, or grasp intuitively, that the supposition mentioned in (2) is required. (Grice1989; 30-31)

⇒会話の含意についての特徴は以下の通りだよ!
  ある人物が、pという発話をして(もしくはpと言っているフリをして)qという内容を含意しているばあい、その人物=話し手は会話の中でqを含意しているということになるよ!
  さらに、そのことは
  (1)話し手は、Griceの提唱した会話の4つの格率、もしくは少なくとも協調の原則を守っているはずであり、
  (2)話し手は、pという内容を発話したりpと言っているフリをしたりするために、qという内容が必要とされるのだと気づいているもしくは考えている、という前提があり、
  (3)前述した(2)の前提が必要とされるということを聞き手も気づいているのだ、ということを話し手は考えている
という3つを提示しているんだよ!


………?ってかんじですよね。和訳難しいです。英語ネイティブへるぷみー。

pとかqとか使っているとわかりにくいため、先程の例1に当てはめて考えてみます。

☆例1☆(再掲)
(文脈…この会話の直前まで、特にハサミがメインの話題ではない)
01 A : ねえ、ハサミ持ってる?
02 B : うん。(うなずく)
     B' : うん。(ハサミを手渡す)

ここで、発話pにあたるのは01行目の[ハサミを持っているか、持っていないか]という、発話の字義的内容です。
前提となる文脈より、ハサミについての話題が直前までされていなかったことを考えると、突然ハサミの有無が必要になる状況はなかなか考えられません。
しかし、会話の含意の特徴(1)より、会話の格率、もしくは少なくとも協調の原則を守っているはず、ということは、現時点での会話場面に必要とされる含意qがあるはずだ、と考えられるのです。
さらに、特徴(2)より、Aは01行目の発話で含意qが(当たり前に)必要とされると考えていること、特徴(3)より、Bも同様の思考を持っており含意qが伝わるだろう、とAが想定していること、がいえます。

ここまで考えた上で、ではもっとも考えられ得る含意qはなんだろう、となったときに、いくつかの可能性を考えてみます。
まず、01行目に対する返答がnoだった場合のAの含意(「もしハサミ持ってないなら…」に後続する内容)
・私のハサミを貸してあげる
・買ってきたほうがいいよ
・問題ないね、刃物持ち込み禁止だからここ
・なんで持ってないの?
などが考えられます。
次に、返答がyesだった場合のAの含意(「もしハサミ持ってるなら…」に後続する内容)
・貸して
・私も買ってこようかな
・刃物持ち込み禁止だから置いていきな
・なんで持ってるの?
などが考えられます。
詳しく文脈を書いていないので絶対的とは言えませんが、ここにあげた含意の中でもっとも可能性が高い(一般的によく発生する)のは(Bがyesだったときの)じゃあ貸して」
だと考えられるのです。
(例えばこれが空港の荷物確認する場所だったら「持ち込み禁止だから〜」のほうが適切かもしれませんし、前日にハサミが必要だと言われていたような状態であれば、「買ってきたほうがいいよ」のほうが適切かもしれませんが、あくまでそれらは有標的な状況であると考えます。)

ゴタゴタと書きましたが、整理すると……
Aは「ねえ、ハサミ持ってる?」(=発話p)とBに対して質問する
⇒このとき、この発話には「(ハサミ持ってたら)貸して?」という意味(=含意q)を含んでいる。
 Aはpを発話するとこの含意qが伝わるということを信じている。
 Aはさらに発話pの含意としてqが伝わるだろうとA自身が考えている、ということをBは理解してくれるだろうと信じている。

ということになります。
そして、その含意qを含めてこの発話の応答として適切なものを考えると、字義的な質問に回答するBより、含意qに対応するB'であるのです。

たった一往復の会話のキャッチボールも、分析するとこんなにややこしくなるのです。
逆にこんなにややこしいことを、私たちは知らないうちにさも当たり前かのように行っているのです。
賢いというか、めんどくさいというか……


●Griceさんに足りないところ。

もちろんGriceさんは他にもたくさんの理論や仮定を提示してきましたが、その中でも有名であり重要なものを2つ、紹介しました。
しかし、画期的な視点であるとはいえ、この理論には抜け穴もあり、のちの言語学者さんたちがその抜け穴を補填する理論を展開しています。
例えば、上記のpとqの例のとき、含意qを最終的にどうやって絞り込むか、Griceさんは明言していません。


●焼きマシュを読んだときの私の中のGriceさん。

難しい理論が続いていてもつまらないので、息抜きに、そもそもこのはてブを書く衝動を生み出した、焼きマシュのような嫌味っぽい表現をどのように解釈するか、私の脳内をご紹介します。

※実際に私に届いた焼きマシュがあれば使用したのですが、私のフォロワーさんたちは菩薩のような心の持ち主しかいないみたいで参考例がないので、以下の内容は創作です!いつもフォロワーさんありがとう♡

☆創作焼きマシュ1☆
「何垢(なん)ですか?」「誰担(なん)ですか?」

これがいちばん私に来そうなやつですね。自分でも思うし。
まず、字義的な形式を見ると、[質問]です。となると、私は「Aぇ垢です」「大晴さんが好きです」と[応答(回答)]をするのが、いわゆる"正しい"やり取りです。
しかしその前後での私のツイートややり取りなど、タイミング(前提となる文脈)によっては単なる質問ではなく、含意を読み取ることができます。

①どうして今このタイミングで「私が誰のことを好きなのか」という情報が必要なんだろう?
②例えば新しいフォロワーさんがそれを知りたいならわかるけど……フォロワー増えてないし……
③唐突すぎん?(話題の飛躍⇒関係性の格率を違反している)
 というかツイフィールに一応書いてるぞ?(すでに提供済みの情報の再要求⇒量の格率を違反している)
④いや、なにか理由があるはずだ(基本的に4つの格率を守って会話をしていると信じている⇒格率を違反しているはずがない)
⑤あ、そういえばさっき松下さんと佐野さんの親和性について20ツイートくらいしたなあ…(←前提となる文脈)
⑥仮にこのマシュ主が
 (a)「私が福本さんのことを好き」ということを知っていて、
 (b)20個の松下さん×佐野さんツイートを見ている(20のツイートの直後にマシュマロを送ってきた)
 と考えてみよう。
⑦マシュ主は質問の回答となる情報をすでに知っているので、実際に行いたい発話行為[質問]ではない
⑧マシュ主は(b)に対する反応をしている(内容的に(b)に関係性がある)ことを言っているはずである。
⑨マシュ主には「福本担が自担以外のツイートをしまくっている」と見えていると考えられる。
(あくまで私が想定し得る)常識の範囲内で、オタ垢で自担以外のツイートをしまくることを不快に思う人は一定数いるだろう、と想定できる。
⇒⇒つまりー????マシュ主はこのマシュマロを送ってくることによって「あなた福本担なら福本さんのこと呟きなよ?てかせめてジャニの話しろよ?垢分けしろよ?」みたいな非難を伝達しようとしているのではないか????
…………ふぅ。
ってなるわけです。これを一瞬にして脳内のGriceさんが言ってくるのです。

なるほど!と思ってくださった方、ありがとうございます。
生きるのめんどくさそうだな、と思った方、そのとおりです。
Griceさんの話でここまでいく?と思った方、そのとおりです。
そう、Griceさんだけでは足りないところがあるんです。特に後半。

が!!!!!!
みなさまおわかりのとおり!!!!!
すでにこのはてブ長すぎて他の理論の話書けねえ!!!!!


●というわけで!!!

本当は、このひとつの記事で、Brown & Levinsonの関連性理論の話とか、帰納と演繹とアブダクションの話とかを全部簡潔にまとめるつもりだったのですが、要約能力が著しく欠如している私には無理でした!!ごめんなさい!!
上記の焼きマシュマロの解読方法、基礎はGriceさんにあるので、少し都合よく見える部分もあるかもしれませんが、ほとんど協調の原則や会話の含意についての知識があるだけでこんなふうに考えられるんだよー、っていう面白さが伝われば、今回はとりあえずよいことにします!

 

●終わりに。

さて、今回も長々と最後までお読みくださった方、ありがとうございます。
最初に、Griceさんを知ることによって焼きマシュが来ても無敵になれる、と書きましたが、あくまで論破できる、という程度のことで、嫌な気持ちになるもんは嫌な気持ちになります。
でも、理由もわからず「なんか嫌味っぽいなあ」と思って相手に攻撃をしてしまうと、「え?私は単純にあなたが誰担か知りたかっただけですよ?」と逃げられてしまう可能性が高いので、逃げ道をつぶすというのがこの理論を使った悪知恵ってかんじですかね…性格悪いっすね私…。
先程も書いたように、Griceさんだけではなく、他にも多くの言語学者さんが会話の含意や推意をどのように解釈するか、という理論を提唱していて、私たちは理論としては知らなくても、無意識にその理論に沿った解釈をしていたり相手にそういった解釈を期待したりしています。ここで起こる問題点は、それらの理論を“当たり前”だと思ってしまうことによって、自分と相手の解釈に差が生まれたときに「なんで伝わらないの?」と一方的に相手を責めてしまう可能性が生まれることです。
私が言語学を少しでも広めたい理由の大きなひとつでもありますが、無意識に行っていることの手順を知ることによって、自分にとっての“当たり前”が全人類にとっての“当たり前”ではないことに気づき、コミュニケーションの中で問題が発生したときに、一方的に相手のせいにするのではなく、自分の行為を顧みて変化させるきっかけになれればいいなと思っています。

そんなわけで、またこの続きのはてブを書くかもしれませんし、別のことを書くかもしれませんし…ですが、何か疑問点やご意見などあれば、どんどんマシュマロに投げてください!もちろん焼きマシュマロも大歓迎です♡


では。また気が向いたときにつらつらと書きに来ます。
ありがとうございました!


●参考文献
東森勲・吉村あき子(2008)『関連性理論の新展開 認知とコミュニケーション』研究社
三原健一・高見健一編(2018)『日英対照 英語学の基礎』くろしお出版
Jonathan Culpeper, Michael Haugh著,椎名美智 監訳『新しい語用論の世界 世界からのアプローチ』研究社
Grice, Herbert Paul (1989) Studies in the Way of Words, Harvard University Press
吉村あき子(2017)「分析的推意と拡張的推意」『欧米言語文化研究』第5号

”好き”の追求。

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こんにちは、こんばんは。
ご来訪いただきありがとうございます。

私が初めてこのはてなブログに記事を投稿してから、今日で1年が経ちました。

佐野さんのタメ語を分析して、卒業論文で扱ったお話。
想像をはるかに超えてたくさんの方に読んでいただき、ご意見やご感想をいただきました。
そこから、1か月にひとつくらいのペースで、言語学の話題を中心に、自分の「ことばを書きたい!」という欲に任せて投稿しています。

今日も同じ。1年という節目を利用して、ことばを紡ぎたい欲を満たすだけのブログです。

 

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佐野さんタメ語はてブを書いてから、「言語学知らなかったけれど面白い!」「自分もことばについてこう思うことがあって、これってこういう現象なのかな?」などと、言語学や日常の言語現象に興味を持って、そのことをマシュマロやDMで報告してくださる方がたくさんいらっしゃいました。
定期的に同様の内容のツイートもしていますが、こういった反応が、私は本当に、本当に嬉しいです。
それは、何よりも、私が、言語学のことを大好きだから。そして、言語学やことばについて好きでいるという姿勢に誇りを持っているからです。
感覚としては、知り合いを自分の推しの沼に落としたときと似ているかもしれません。笑
んー、でも、自分で言っておきながらすぐ撤回しますが、似ているけれどそれよりもっと嬉しくて幸せだなあって思っているかも。

自分の専門領域以外の学問って、なかなか自発的に手を伸ばしづらいと思うんです。気になっても、何から始めたらいいかわからなかったり、本などからの情報を一方的に吸い込むだけではどうしても理解がしにくいところを超えられなかったり。
それでも私は、自分の大好きな言語学を少しでもたくさんの人に知ってほしいなあ、と、ずっと思っています。なぜなら、ことばって、ほとんどの人たちが毎日使用しているもので、決して他人事の学問ではない、と思っているから。ま、それを言い始めたらどの学問もそうだろ!って言われかねませんが。
だからこそ、自分が書いたブログやツイートで、誰かと言語学の架け橋というか、本来つながるはずのなかった道がつながるきっかけというか、そういうものをつくれた(というか現在進行形でつくることができている)と実感できることがとにかく幸せ。

そしてもうひとつ。
これもよくツイートしているかもしれませんが、ことばって、面白いだけではなくて、人を無意識に傷つけたり、逆に傷つけられたり、自分の思っているように相手に届かなかったり、難しくて複雑で厄介なものでもあると、私は思っています。言語学を学べば学ぶほどその気持ちは強くなるし、生きづらくもなる。でも、考え方を変えると、理由がわからないけれど悔しかったり苦しかったりしていたことにそう感じる根拠を見つけることができるようになってきたとも言えるのです。それが、必ずしも役に立つことかは、わかりません。それでも、そういう、負の感情の解像度を高める手段として、ことばを注意深く見つめる、という方法があることを、私の発信したものを通じて受け取ってくださった方がいたらいいなあ、それでちょっとでも対処法が見つかったり気持ちが楽になってくださったりしていたら嬉しいなあ、と思っています。

はい。

 

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最近、考える時間がとにかくたくさんあるので、いろんなことを考えます。
この間までは、好きなことをする気力さえもなかったけれど、この数週間ようやく手をつけられるようにもなって。

そうした中で、思ったことがあります。今日のテーマ。
自分の“好き”を追求することって、とにかく、とにかく、難しくて、度胸や努力や覚悟が必要なんだなあ、ってことです。

当たり前だと思うでしょうか、それとも、自分の好きなことをするなら楽しいじゃないかと思うでしょうか。

私は、

言語学が好き。

ことばが好き。

お芝居が好き。

ミニシアターで上映されるような自主制作映画の世界観が好き。

アイドルが好き。

コンサートとかの生歌から浴びる迫力が好き。

などなど、たくさんの“好き”があります。
でも就職活動のときには、そのどれかひとつを選ぶことなく、どちらかと言えば安定を求めて就職先を選びました。その背景には、どこかで自分の“好き”を軽んじていた部分もあるし、上記のものを極めても数年後、十数年後の将来がどうなるか想像できなかった部分もあるし、親をはじめとして周りの目や意見を跳ね返し切る強さを持てなかった部分もあるなあ、って、今となっては思います。
もちろん、趣味と仕事をきっぱり切り分けて考えることも大切で、それを実現できる人は素敵だなと、私は心から思います。

それでも、私は、そんなに器用な人間じゃないみたいです。
大学の学問でさえ自分の趣味に結び付けて楽しんでいた私の原動力は“好き”という気持ちで、それがなければ何度自分に言い聞かせてもエンジンがかからないタイプ。
そして、これは自虐でもお情け頂戴的な表現でもなく、私は細かいことに敏感で、いわゆる社会不適合者。私の“好き”は、私を支えるものというよりは、社会不適合者の自分のままでいられる逃げ場所であり数少ない息のできる場所なんです。

就職活動のときにここまで考えることができていたら、今とは違うところにいたのかも、なんてちょっと思います。いや、結局同じかな。
私が今こうやって考えられているのは、他でもなく、“好き”以外の場所で生きていけないことを身をもって経験したからです。怪我をして初めて段差があったことに気づいた幼児みたいな。趣味として切り分けられるかもしれないけれどそれでも夢や憧れを追いかける、っていうほどの度胸がなかったから、「私はほかの場所じゃ生きていけません」って言い訳をつくることでようやく、真剣に自分について、自分と向き合って考えるようになれたのだと思います。

今後どうなるかはまだわかりません。
でも、ボロボロの心身を動かして、治して、強くできる場所を考えると、やっぱり息のしやすい場所じゃないと、これ以上酸素の薄いところにはいられないよ、って思っています。


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もともとお芝居が好きだったので、私と同い年の知り合いの中には、企業に就職をせずに役者になった人が何人かいます。そんな人たちの姿を見るたびに、尊敬すると同時に、ものすごく羨ましかった。私も大好きな表現の場に立ちたかった、って思って、でもその道を選べなかったことを環境とか実力不足のせいにしようとしていた。
ここにきてようやく、ああ自分が戦うという選択肢から逃げ続けていただけなんだな、って考えられるようになりました。
実際、その知り合いのひとりは、表現の世界にしか自分の居場所がないから、って言うんです。別の人は、成功する可能性も何もわからないのに、私が作品づくりしたいなあって呟いたら、好きに作品撮ってみようよ!って言うんです。

私は、流れ着いた先で新しい居場所をつくろうとした。彼らは、流れに逆らってでも居場所を守ろうとした。
正解はないけれど、そういう違い。


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さて、だんだんこのブログをどういうふうにまとめようか迷走してきています。笑

んー……。

居場所を新たにつくりあげることも、居場所を守り続けることも、どちらが正解でどちらが間違い、なんてことを言いたいわけじゃなくて。

「好きなことをする」って言うと、なんとなく、自分勝手というか、楽しそうで何よりですね、って思われがちかもしれないし、実際自分がそう思ってきたところもあるけれど、そんなことないんだな、って、ものすごく難しくて苦しくてしんどいことを乗り越えたり潜り抜けたり壊したりしながら自分の“好き”を守っているんだな、って考えるようになって、どうにかそれを言語化してみようと思って書き始めました。
それと、そうやって守り続けてきた“好き”を第三者に見つけてもらえたり、楽しんでもらえたり、認めてもらえたりすることって、本当に幸せなことだなあ、って。

社会人1年目の私は居場所づくりも居場所の保護も、どちらも中途半端になってしまったけれど、このことに気づけたのは大きいと思っています。
初めから自分の好きなことを追いかけていたら、たぶんどこかで「ほかの人は慣れない環境に飛び込んでいっているのに、自分は好きなことばっかりしている…」って考えてしまっていたと思うから。

そう、今ここまで書いて急に思い出しました。
大学3年のときに、さっきも書いた役者になった人と進路についてやりとりをしていたとき、私は大学院に進むことを「甘えというか、モラトリアム期間延ばしてるだけな気も」するって考えていたのに対し、相手は、
「一生モラトリアムしていたい気もする」
「というか社会でたらモラトリアム脱してるってのもなんか違うよね」
「大学生しかやりたい事を出来ないのはおかしいね」
って返信をくれていました。あーーーーー今になってようやくこのことばの意味がつかめた気がする。うわあ。え、なんか悔しい。そっか。
まとめようとしたつもりが新たな発見をしてしまいました。笑


☆☆☆☆☆
なにはともあれ!

今ここまで読んでくださっている貴方をはじめとする、私の“好き”を受け止めてくださるみなさん。いつもありがとうございます。受け止めてもらえるだけで、私は本当に幸せです。幸せ以外の語彙を持ち合わせていないのですが、これだけ長文のブログを書くくらい幸せです。

自分の“好き”を活力にして、目の前の困難や課題に立ち向かっているみなさん。尊敬しています。私にはできなかった道。当たり前にできることじゃないです。素敵だなあ。

自分の“好き”を守り続けて、一直線に走り続けているみなさん。貴方の“好き”が、貴方だけのものじゃなく、誰かの心を救ったり背中を押したりするのだろうなあ、と思います。素敵です。

今の私みたいに、どこにいるかわからない場所で立ち止まっているみなさん。生きるのって難しいですね。どうやったら道が見つかるんでしょう。私には貴方の道を示すことはできないし、むしろ私の道を一緒に探してください!!って言いたいところですが、ただ、私は、立ち止まっている痛みを受け止められる人間になりたいなあと思います。自分の痛みも、他人の痛みも。

ここまで書いてもやっぱり生きていくの嫌だぜって思う気持ちもあるけれど、泥まみれ傷だらけ息も絶え絶えの格好悪い姿でも、まあよかったかな、ってあっけらかんと笑える最期になればいいなあ、なんてことを考えられるくらいにはなりました。今の私は格好悪いだけだからまだダメだなあ。ふう。

 

 


では。また気が向いたときに、つらつらと書きに来ます。
ありがとうございました!

 

ツイートから抑うつ状態の自分を観察したお話。

●はじめに。

こんにちは。こんばんは。
ご来訪くださりありがとうございます。
そして、明けましておめでとうございます。
(※これ、書き始めたの1月2日だったんです…笑)

さて、今回のはてブですが、新年一発目として、まっっっっったく相応しくない内容でお届けしますっ!

みなさん、年末年始はどのようにお過ごしでしたか?
お仕事の方もいらっしゃったでしょうし、現場納めや現場初めをした方、好きな人とのんびり過ごした方、ひとりの時間を満喫した方、さまざまだと思います。

私は、これまでの自分の鬱々ツイートを振り返ってモーメントを作成しておりました。
おかげさまで気分が落ち込み、狼煙行けない悲しさも重なり、しばらくTwitterからも離れておりました(自業自得)

さらに言えばこのはてブ、5000字くらいまでパソコンで書いていたにも関わらず、1月7日に突然パソコンの電源が入らなくなり修理に出すことに。なので、現在の私はスマホでまた1から書き直しています。
年明け早々、いろいろありますね。

そんなこんなで(どんなやねん)、鬱々ツイートをまとめたのですが、なんとびっくり500ツイートくらいあったんですよね……フォロワーのみなさま本当に申し訳ありません……。

今回はそんな心の声ダダ漏れの自分のツイートを振り返りながら、私がいかにして抑うつ状態になったのかを考えてみたいと思います。

これがやるべきことなのかどうか、正直わからんし、どこにも需要ないとは思いますが、万が一5年後10年後生きていたとしたらまとめてあったほうがいいなあという自己満足の備忘録です!

 

●入社前〜いろいろと怒涛の4月。

このブログを読んでくださってる方のほとんどが私のTwitterのフォロワーさんだと思うのでご存知かとは思いますが、私は学生時代文学部で言語学を専攻するTHE文系のにんげんでした。でも言語学を活かした職業ってなかなかなくて、院に行くのも試験勉強したくねえ…っていう理由で諦めた私(このとき頑張ればよかったと今さら思う)
アルバイトで接客販売のお仕事をしていたこともあり、人と関わるお仕事がしたい、笑顔を届けられるようなことがしたい、という気持ちから、小売業の某企業に入社を決定。このとき、新入社員は基本的に1年目は店舗配属で接客やレジ打ちだよー、と言われていたことばを純真無垢に信じていました。

 

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まずこちらが、入社前の私。
呑気に言語学に未練タラタラで若干尖ってますね。

そして4月になるとなにやら一変します。

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まず前半、新入社員研修で、私の心がグワングワンと叫び続ける毎日。
集団行動が苦手、綺麗事が苦手、なかよくしよ♡が苦手、かといって相手を蹴落として自分が自分が、って手を挙げるのも苦手。
このときは、研修の内容も、休み時間のザワザワとした空気も、全部が私の心臓を痛める原因で、トイレや階段の踊り場に逃げて息を整える毎日でした。
そして中旬の配属発表で、まさかの、プログラミング等を行う本社部署への配属が決定。
前述のように、私は純度100%の文系。なぜこの配属になったのか、いまだに謎。
まあそれでも何とかなるのかな…と思いながら働き始める私。
何とかなるわけありません。
何がわからない?と聞かれて、何もわかりません…以外に答えようがない現実。とりあえずコンピュータ基礎知識、みたいな古ぼけたテキストを渡されるけれど基礎知識を説明している語句がまずわからない。英単語を知らない人に英語の教科書を渡した、みたいなかんじです。
私と同時に入った同期は2人いて、どちらも大学でプログラミングだの情報技術系だのを学んでいた方々で、もちろん職場の方もこの道何十年、みたいなベテランさんばかり。今さら英単語をひとつひとつ説明してくださる時間もなければそんな必要があるとすら思われていなかったのだと思います。

 

●意外と既に泣いている5月。

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私、しんどくて泣くようになったのって9月頃からだと思っていたのですが、このときから割と泣いていましたね。笑
プログラミングというお仕事と、各店舗からかかってくる電話対応にも、本格的に取り組み始め、前者については隣の教育係の上司に、後者についてはそれぞれシステムの専門の上司に教えを請いに行く時間が増えました。
そうやっていろんな方とお話をするうちにひとつ、気づいてしまったのです。
私、この教育係の上司、苦手だ…………。
人それぞれ、得意不得意や好き嫌いはあると思います。しかし、この、"専門外の知識を教えてくださる人"が苦手、って、なかなかきつい。私が必死に勉強して、ここまでわかった!となったところで、「じゃあ次これわかる?まだわかんないかあ…笑」がこの先何度も続きます。上司がI like an apple. と言ったのを理解して、私がI like an orange. と言えた!やった!と喜んでいたところに、私の喜びは無視されて「じゃこれ疑問文にしてみて」と言われる。そんな絶望感です。

 

●ことばが伝わらず転がりつづける6月。

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本格的なプログラミングのお仕事が始まってきた頃で、このときの私はもう、自分で何をやっているかよくわかっていない状態でした。そのため、質問しようとしても、自分がどこまで理解をしていてどこからがわからないのか、を整理するのに時間がかかり、どの部分がなぜ理解できないのか、を上司に伝わることばで説明する、ということが苦しくてたまらない。
さらに5月末か6月の頭になんとかひとつプログラミングの一連の流れが終わり、若干の達成感に浸ってたところで、「今後このタイプのが多いけど、じゃああれとこれもひととおり経験だけしておこうか、大丈夫、似てるし」みたいになり、私の頭はパニックに。なんとか英語の平叙文と疑問文と否定文を覚えた私に、とりあえず仮定法も覚えてみよっか!みたいなかんじです。いやいや………。

 

●仕事外で1回精神がパーンと粉々になった7月。

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7月はね、正直お仕事のことほとんど覚えてない。笑
サービス残業をし始めたくらいかな。
趣味で自主映画の制作のお手伝いをしていて、その撮影が11日にあったのですが、その現場で、あ、自分の考えって他人には理解し難いものなんだ、理解されようとすると私の嫌いな方向にねじ曲がってしまうんだ、それが嫌だって暴れることで、私は人を傷つけ、人と離れることになっているんだ………、と社会不適合者であることを改めて自覚したのでした。人生の中でこの日だけ、「死にたい」ではなく「死ねる」と思った。それくらい自分にとってはショックが大きい1日で、そのまま1週間くらいはほぼ毎日のように泣いていましたね。

youtu.be


(↑これはそのとき撮った作品ではなく、ここで受けたショックをそのまま衝動的につくったもの。)
あ、そう、あとは、映画制作に全勢力を注いだあと、虚無な気持ちになったというか、好奇心旺盛であるがゆえに何を我慢して何を全力でやるべきかがわからなくなって、目の前が真っ暗になったこともありました。

 

●松竹座に通い詰める8月。

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サマスペ終わりのフォロワーさんに会いに行くという目的でサービス残業を合法化していた8月(合法にはならん)
相変わらず教育係の上司とはことばが噛み合わず、在宅勤務のときはいつも泣いていたようです。あとは、9月中旬に資格試験を受けることが決まっていたので、その勉強をしなきゃ、と思いつつ、言語学に逃げていました。じてんしゃじでんしゃ論争もこの時期かぁ〜、懐かしいなあ。

 

言語学熱が異様に高まった9月前半。
(こっからひと月を前後半で分けていますが、大きな理由はなく、ただひと月に100以上の鬱々ツイしててまとめきれなかっただけです…本当にすみません………)

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資格試験がちょうど14日くらいにあったのですが、なかなか集中できずしばらく言語学をやりまくる日々。しかしふと、「これってストレスの反動……?」と気づいてしまった私(と私の最強シンメみーさん)。1回気づくと、あ私仕事でめちゃくちゃストレス感じてるんだ…って自覚するようになるし、言語学をすることにも罪悪感を抱くようになってしまい、負のループが始まりました。
また、(もちろん資格試験前だったから、という理由もあるけれど)自分の趣味の楽しみ方が受動的になってきたなあ、って思い始めたのもこの頃でした。録画してる番組はたくさんあるのに、ぼーっとYouTubeを見る、みたいな、手軽さに身を任せるように。

 

●虚無で微熱に悩まされる9月後半

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資格試験が終わり、やっと自由に言語学ができるぞ!となったはずなのに、やる気が出ない。活字を読む、という気力がなく、ぼんやりしたりお昼寝したりすることが増えました。
お仕事は相変わらず、隣とその隣の上司おふたりの悪意のない棘棘しいことばを必死にこらえながら目の前にある仕事をひとつずつ進めておりました。あとこの辺から特に、2つ隣の上司さんが冗談めかして「これ説明わかりにくかったら遠慮なく言ってええねんで?言語学的におかしいと思います!とかどんどん言って」みたいな煽り(煽り?)をするようになってきて、きっとその人なりのコミュニケーションの取り方なんだろうけれど私的には終始真顔で素通りするので精一杯でした。
そして家では、夜(特に次の日出勤の休日)に微熱が出るようになりました。この微熱モード、大学3回生の終わり頃にもあって、結局原因よくわかんないんですけど、たぶんストレス。あとは眠たいのに夜中に途中で起きてしまうことが増えました。今までは朝まで熟睡だったのに……

 

●フォロワーさんの助言によりようやく病院に行く10月前半。

 

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もうもはや仕事内容がどう、みたいなことほとんど言ってないんですよね。ようやく自分が生きるの下手なことを思い出したというか。
ただ対人関係をうまく築けなくて、自分のことばがどんどん空っぽになっていって、それでも必死に届けようとして届かなくて涙が出て止まらない、そんなかんじ。やらなきゃいけないこともやりたいこともできなくて、そんな自分が嫌になって、でもどうしようもできなくて。
で、10月18日に心療内科に行ったわけです。
診断してもらって、症状に名前がつくことで安心する人もいると聞きますが、私は逆でした。抑うつ状態と診断されて、抗不安薬と入眠導入剤を処方してもらって、それで?って思っちゃったんです。これで何が良くなるんだろう、生きやすくなるのかな、そんなわけないよな、って。もしおくすりで私の中の何かが変わったら、今まで私が大切にしてきたものが壊されるんじゃないか、って。とにかくぐるぐると不安。そして副作用でぼーっとするし頭が働かないしで在宅勤務を早退。

 

●限界を迎えた10月後半。

 

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こうやって見ていると、よく生きてたね…っていうかんじがします。笑
微熱は続くし、副作用で足元フラフラするし、頭の回転は遅くなるし、まわりからは「仕事量たくさんでキャパオーバーしちゃったのかな?いつでも相談してね?」みたいな空気出されるし。
で、これまでは、サマスペや松下さんのライブに当たったときに、そこまで生きるぞ……!って思えていたのが、10月25日、JUMPさんの当落を見て素直に喜べなかったことに自分で衝撃を受けました。当時の私は虚無になることで自分の感情を守っていたのかなあ、と思います。
まあそんなわけで、会社をお休みする期間に入ったわけです。

 

●食欲不振とコミュニケーション不足を知る11月前半。

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基本的に"働くこと"自体は好きな私、こんな長期休暇を得たのが久しぶりでかなり戸惑いました。そして「私、働いてないんだし、栄養摂る必要なくない?」という謎の思考が生まれ、食欲がズドンと落ちました。
この辺は…まあそんなかんじかな。おっきなできごともなく。で、ここから東京の友人宅に居候することになりました。

 

●寝転がり続ける11月後半。

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徒歩5分にドンキもコンビニもある便利な田舎の友人宅で、毎日ずっとゴロゴロしていました。
深い考えをする余裕もなく、ことばを紡ごうという意欲もなく、ぼんやりと、このまんまだったら生きてても死んでても変わらないのになあ、もっかい社会に戻れるのかなあ、と考えては泣いていました。
あ!!!初めてあっとほぉーむカフェに行っていつかさんに出会ったのもこの時期です!!!会いてえ……
というか、ここから12 月前半にかけてはたくさんのフォロワーさんが会ってくださいました。本当にお世話になりました。
病院に行くために月に数回関西に戻っていたのですが、自分の部屋に戻ると一気に黒い感情がどわああってなりました。生活の染み付いた部屋だからこそ、同僚の顔とかも思い出しやすく、他の人たちは今頃バタバタと働いているんだろうな…と思うと悔しさやら腹立たしさやら情けなさやらで泣きまくってました。

 

●自分のことばが生きている瞬間に久々に立ち会った12月前半。

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11月終わり頃から12月のはじめは、どうやったら死ぬことができるか、とかを真剣に調べていました。笑劇はありがたいことに1公演当たったのですが、3月まで生きることを考えると素直に喜べなかった。
おくすりの効き目もあまりわからず入眠導入剤飲んでもすぐ起きちゃうし気持ちは鬱々しているし、と思っていたところにおくすり増やします〜ってなってさらにどよん……とする私。
ことばについての出来事は2つあって、ひとつは大好きな作品の監督さんと役者さんにお手紙を渡したこと。もうひとつは以前はてブに書いたエイトさんのライブ。この2つの出来事で、久しぶりに「私の中から生まれたことばが、生きて相手に伝わっている…!」という喜びが生まれ、ある種執着にも近い誇りを持つようになりました。何かにつけてことばにして残しておきたい、と思うようになり、スマホのメモアプリにとにかくことばを並べる日々。
そんなかんじで、私の東京居候生活が終わりました。

 

●少ない予定を黙々と潰していく12月後半。

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約1ヶ月ぶりのひとり暮らし。
マジで、1日が長い。
ベッドと私の身体に磁石でも仕込んであるんか?ってレベルでベッドの上から動けず、浅い眠りを繰り返し、悪夢を見て起きる、みたいな。
予定があったり買い物の必要があったりすれば動けるけれど、それ以外は完全なる引きこもりと化していました。
また、自分はことばを紡ぐことが好きだ、と自覚すればするほど、その過敏さが自分を傷つけて自分を生きづらくさせていることに気づき、未来を考えるのがとにかく嫌。あまりに鬱々しすぎて狼煙期間中はTwitterログアウトしてました。
あ、あと、31日と明けて2日3日は、元バイト先のお手伝いに行ってきました。3〜4時間の立ち仕事はかなり久しぶりだったけれど、とにかく楽しかった。私が生きられる場所ってここだなあ、って思った。

 

●そして1月。

このモーメントをまとめ始めたのが年末だったもので、あまりに自分のツイート数が多いのでなるべく鬱ツイをしないよう心がけました。
なのでここからは直書きというか、日記みたいな感じ。

1月1日
カウコン見てふぉ〜ゆ〜さんのLINE LIVE見て寝て、HiAぇ島動画見て、まあヲタ活してましたね。

1月2日
お昼までダラダラして昼過ぎから夜までバイト。これがとにかく楽しい。でも明日までしかこの居場所がないのかと思い、帰り道は泣きながら歩く。再びTwitterログアウトする。

1月3日
以下同文。
バイト終わりに、店長さんと社長ご夫妻と4人でご飯。幸せ。と同時に、迫りくる"終わり"がジワジワと心を蝕む。帰り際、「またね!」と言われたことに対して「また遊びに行きます!」と返せない。
店長さんとは途中まで電車が一緒だったので、ポツポツと話す。先に降りる店長さん。残りの10分間くらい、電車の中でひとりでひたすら泣く私(不審者)
家に着いて改めて泣く。私の生きる目標、私の生きる場所がなくなってしまった、という凄まじい喪失感で涙が止まらなくなる。そのままベッドに倒れ込む。

1月4日
生きる気力がない。ずっとベッドでゴロゴロしていたせいで、配達員さんに「おやすみなさい〜…」と言ってしまう。
辰巳さん×正門さんツーショ写真で私の好き顔はこれや……と実感する。

1月5日
死ぬなら今のうちだなあ、と考える。
オーストラリアから楽くんのお写真とメッセージカードが届き喜んでいたところに河下楽さんのかんじゅ日誌が来て泣く。どうせ死ねないならAmBitiousがどれくらい異次元のスピードで進化していくのか見ていきたいなと思う。
辰巳さんのLINE LIVEで「2022年もふぉ〜ゆ〜を頼ってください」ということばにボロ泣きする。

1月6日
病院に行く。ちょっとおくすり変わる。
少しだけお部屋の片付けをする。

1月7日
高校のときの演劇部の引退公演のDVDを見る(なぜ)
パソコンが立ち上がらなくなりこのブログを1から書き直す。
辰巳さんのドライブデート回LINE LIVEを見る。
薮さんのジョセフが当たったものの、5月まで生きることを考えたくなくて一旦入金せず置いておく。

1月8日
なんもやる気が起きなくて、余ってたおくすりをかき集める。
お昼の15時過ぎくらいに、ほぼストレートのウイスキーで通常の夜に飲むおくすりにプラスして抗不安薬15錠くらい入眠導入剤15?20?錠くらいと、抗うつ剤3回分を飲む。飲んじゃった、って報告を某フォロワーにし、心配をかけているのを他所に爆睡(たぶんおくすりではなくアルコールのせい)(心配かけてほんとにごめん)。22時半くらいに起床。そのままフォロワーさんと4時まで電話。

1月9日
昨晩の記憶のないうちにいろんな場所にぶつかったらしく脚があざだらけになっている。
1日ダラダラと過ごす。そんな簡単には死ねないのか、と思ってジョセフの入金をする。

1月10日
昼過ぎまでダラダラと過ごし、謎にメイクをちゃんとして買い物に出かける。
8日に飲んでいなかった余ってる抗うつ剤が7錠くらいあったので、夜ご飯後ハイボールで飲み、あとは使用期限2020年8月の総合風邪薬(基本は1回3錠)があったので、適当に一気に飲む。夜中に一度目が覚め、喉がイガイガするなあと思ってまたその風邪薬を6錠くらい飲む

1月11日
風邪みたいなだるさと喉の痛さ(風邪じゃないのにおくすり飲んだからね)
たぶん120錠くらい入っていたはずの風邪薬の瓶の中身が残り20錠くらいになってて、私昨日どんだけ飲んだんだ……?と思う。
夜、やっぱりまだ喉が痛かったので、風邪薬を7錠飲む

 

………こんなかんじでございます。
ここからみなさんが何をどう感じるかわかりません。不快にさせたらごめんなさい。でもこれが私の現実。

 

●今の私。

ここからは自分の思考を整理するために、文字化する場所。

 


私のスタンスこれなので。

 

今の私は、生きるのやめたいなあ、って思っている。
正確に言えば、今のこの社会の隅っこに居続けていいならそうしたいなあ、ってところかな。

お医者さんや産業医の先生、人事担当の方は、仕事内容が慣れないものでしんどかったのがいちばんの要因だろう、と考えているみたいだけど、はたして本当にそうなのかな?もう少し仕事内容がわかりやすかったら、同じ職場環境でも生きていけたのかな?

4月前半の様子でわかるように、私はもともと人間の集団が苦手で、"会話"が苦手で、人間を信用するのが嫌だ。護身のために他人と適切な距離をとって、上辺だけの関係性でなんとかしていきたい、と考えるような人間だ。

でもそんな人間、おっきくて制度化された社会には合わないんだよね。
わかっている、つもりだった。
だからそんな人間性が見えないように仕事面で成果を出せればいいなと思っていた。仕事ができれば文句は言えないだろうから。

それが、失敗した、だけ。
仕事の成果で護られるはずだった私の人間性はいま、ボロボロになってしまった。


私のことを好きだと言ってくれる人がいる。
味方だよと言ってくれる人がいる。
生きているだけでえらいと言ってくれる人がいる。
私のことばが好きだと言ってくれる人がいる。
心配してくれる人がいる。
私が死んだら悲しんでくれる人がいる。

 

その気持ちに、私は何を返せばいいのだろう。

 

画面の向こう側から好かれたって、私の生きる場所が生まれるわけじゃない。
私の限られたことばで飯を食っていけるような世の中じゃない。
周りにいる人のことを"信じて"、自分がどうやったら生きていけるかを"努力して"探さないといけないんでしょ?

その"信じる"とか"努力する"とか、それができないから社会不適合者なのにさあ。

 

何か、生きる活力になるものがあればよかった。
私の友人は、まあこんなかんじで、私が死にたいって言ったときに、死なないでとは言えないし言わない、って言ってくれた。彼女も死にたがりだけれど、表現の世界で自由になれることに魅了され、コツコツと努力を積み重ね、心の中ではもうじゅうぶんだよーって思いながら、舞台の上で輝いている。自分の居場所を、自分でつくっている。
ある映画監督さんは、「脚本は遺書で、制作期間は生きる猶予だ」とおっしゃっていた。生きろ、ということばは残酷で、でも自分の生命に変えてでも作品を愛しぬく、と決めていらっしゃる方だ。

私にはそういった、確固たるなにか、がない。

推し、はたくさんいるけれど、生きる目標にはならない。
言語学、は好きだけど、今はまだ手を付けられるような気持ちではないし、若干怖さすら抱いている。
お仕事のやりがい、が持てれば、きっとそれがいちばんなんだけど。堅苦しいほどの社会的で虫唾の走るような復職の道のりを乗り越えられる気がしない。

だから私は、もう、生きるの辞めたいなあ、って思う。
無意識に手元にあるおくすりたくさん飲んで、このまま死んじゃえばいいのに、って思ってしまう。
これはうつの症状なのかな?抑うつ状態だから死にたいってこんな簡単に口にしちゃうのかな。

 

死にたがりなんてもっと昔からだよ。

 

●終わりに。

ここまで読んでくださった方がいるかどうかわかりませんが、もし辿り着いてくださった方がいたら、本当にありがとうございます。

私は、ここにある感情をこうやって書きことばにするのに、1週間以上かかりました。
書いては気分が落ち込んで寝て、少し書いてはYouTubeを見て。
きっと"話す"という行為になれば、この10分の1も伝えられない。なんとなく、ヘラヘラっと誤魔化してしまう。さっき口に出して音読してみただけで涙出てきたし。
多重人格かのように、このはてブを書いている途中でも私は呑気に壁に飾ってるうちわを見て「クソぅ、山田涼介は今日も顔がいいな!」とか思ったりしています。

 

それでも、このブログには、嘘はない。
書きことばとして全力を尽くした、抑うつ状態の私がこれだ。

 

書いてスッキリするわけでもないから、また今晩、部屋中のおくすりを集めてウイスキーで飲んでしまうかもしれない。
痛いのは嫌いだから飛び降りたりはしないつもりだけど、酔った勢いで皿を投げ割ったりするかもしれない。
仮にこのブログを読んで何かことばをくださった方がいたとしても、受け入れられず、スマホを叩き割るかもしれない。
正直、10日に風邪薬を過剰摂取してから、今後自分が何をしてしまうかわからなくて、自分でも怖い。
でもそんなことは今どうでもよくて。

話すのが下手な私は、自分で自分の傷を抉って、原因とか負傷期間とかを推測して、今後この傷を治療していけるのかなあ、って、自力で来れる場所まで来ただけだ。


私はここから、生き延びる手段を、知らない。

 

2022.01.12

 

 

これまでの推しに落ちた瞬間を振り返ってみたお話。

●はじめに。

こんにちは。こんばんは。
ご来訪いただきありがとうございます。

年の瀬ですね。

この1年を振り返ると、まあ見事に荒れ狂ってる1年だったなあ……と思います(いろんな意味で)
で、ふと、私は今年初めて"現場落ち"というものを経験したなあ、と思いまして、これまでの推しはどのようにして推しになったのか、振り返ってみようじゃないかと思いました。

……暇か!と思ったあなた。
そうです。これくらいしかやる気が出ないんです。許してください。お付き合いいただけますと幸いです。
今回は黒い感情は一度隅っこに置いて、楽しかったことをひたすら列挙します。年末だからね。

 

●〜2019年まで。

まず大学3回生くらいまでの沼落ちを振り返ります。

林遣都さん
私の人生に影響するようなきっかけをいくつもつくってくださる、永遠に尊敬する人です。どのインタビュー記事を読んでも常に謙虚で貪欲で、共演するベテランの方から後輩の方まで、欠かさず尊敬の念を抱いているような人で、お芝居を通してなにを伝えられるかをいつも念頭に置いているような、本当に素敵な人。
ハッキリと意識し始めたのは、中3の夏休みにレンタルで『風が強く吹いている』を見たとき。当時演劇部だった私は、美しすぎる遣都さんの走りのフォームを見て、お芝居とはなんぞや………と考えさせられ、自分の演劇に対する姿勢の甘さに悔しくなりめっちゃ泣きました。その後『バッテリー』『DIVE!』と立て続けに見て、当時の自分とほぼ同年齢ということが信じられず、なんて格好良くてなんてストイックな方なのだ…と好きになっていきました。

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高校時代はそんな見てなかったかな……父親が見てるSTとかを横でこそっと見てたくらい。

沼!ってかんじになったのは、2018年、おっさんずラブ
牧凌太の幸せを祈り続けたあの日々が懐かしい。
初めてTwitterのアカウントを作ったのもこのときですね。
あとセリフの文字起こしをしてダウンシフトの研究を始めたのもこのとき。
で、ここまで全然趣味にお金を使う習慣がなかった私がだんだんと壊れ始めます。
スタダさんのFCに入り、舞台とかもガンガン申し込むようになりました。
遣都さんの現場初めてはシアタートラムでの『熱帯樹』かな。最後列だったけれどしっかりと見えてゾクゾクしました。でも現場落ち、ってかんじではないんですよね。というか、遣都さんの場合は、観ているうちに林遣都という概念を忘れて役として観てしまうので、「林遣都を見た」っていう記憶がほぼ残らないというか……(?)

2019年は『劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD』にアホみたいに狂わされました。私のオタク気質はここですでに完成していました。
公開初日に3回鑑賞し、その後もほぼ毎日のように映画館に通い、最終的に30回以上見たのかな……
グッズも買い、展示にも行き、フォロワーさん(通称OL民)とも会い、このときどんだけ金を使ってたんだ…と考えると恐ろしくなりますね。

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で、朝ドラ『スカーレット』が始まり、ここからさらに私の推し活が狂い出します………

現場としては、『風博士』『フェードル』『友達』と有り難いことにたくさん行っていて、『風博士』はまさかの最前列だったことがあります。あれはヤバかった。

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ちなみに役に入っていない林遣都さんはほんとぽやぽやしたチワワなのでそのギャップがえぐいです。マジ、この下の動画見てみてほしい。最後なにか言うわけでもないのに口半開きでお手々振ってるチワワ超可愛い。

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……遣都さんだけで語りすぎなんよ。笑


松下洸平さん

松下さんは、遣都さん目的で見始めた『スカーレット』きっかけですね。

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ジワジワ気になってたところ、歌も歌われるとのことで、(今は非公開になってしまってるんですが)YouTubeに載っていた歌声を聴き、即FC入会。歌声が本当に素敵なんです。

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そこからはゆるゆると推し続け、『リモラブ』『知ってるワイフ』を見ては拗らせていました。
初現場は2021年2月に行ったライブですね。あれは、現場落ちに近い。いや、もちろんその前から好きだったんですけど、見終わったあとの"致死量の松下洸平の色気を浴びてしまった……"というビリビリとした刺激がヤバかったのを覚えています。

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その後、お芝居の現場も2021年になってから、『カメレオンズ・リップ』『母と暮せば』に行くことができました。舞台での松下さんは、もちろん役にもよるとは思いますが、一種の狂気すら感じるほどの迫力と、まるで日常会話をしているかのようなテンポ感の使い分けが絶妙で、怖いです。

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とまあこんなかんじ。

そう、2019年までは、私はジャニーズに一切手を出していなかったんです。
小中学生のとき、嵐と関ジャニ好きだったな〜松潤とたっちょんが好きだったな〜、くらいだったんです(軽くフラグを立てる私)

 

●2020年。

おうち時間が増えた1年。

私がジャニーズJrという存在を知ったのが3月末。
『スカーレット』で好きだった鮫島がジャニーズJrの正門良規さんだと知ったのが4月頃。
そこから、関ジュの動画を見るようになりました。

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そういえばこの動画を見たのも、エイトさん久しぶりに見てみよっかなーって思ったのがきっかけでした。ここでなにわ男子を知って、『年下彼氏』を知って、ジュニアを知ったのが沼の始まり……

☆福本大晴さん
落ちたハッキリとしたきっかけは、ISLAND TVの『Aぇのオハコ』のビバちぇ電話。あとは『おうちで関ジュ』の勉強法の動画。

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それまでは鮫島の正門さんのグループ、ってだけで見ていたのですが、この2つの動画を見て、この人、めちゃくちゃええ人やん……って感じて、そっから好きになりました。おは朝出演するようになってからは、ことばに対する意識が高まっているというお話もされていてますます好きに。
しかしジャニーズ、そりゃなかなか現場にはたどり着けない。初現場は、2021年夏のサマスペでした。そして私はこのサマスペにもちろん福本担として参戦しましたが、想定外の現場落ちエピを爆誕させるのでした……(後述)

個人としては2020年に沼落ちしたのって大晴くんだけなのか……?
Aぇ! groupそのものに沼落ち、ってのはあるけどそれはもう語り出したらキリがなさそうなので割愛しまーす!

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これは今年2021年の動画の中でも愛が溢れてて本当に大好きな動画たち。

 

あ、自主制作映画界隈で好きな役者さんは数人できましたが、お名前を出して万が一見つかったら恥ずかしすぎるのでここではサラッとご紹介だけ。
映画だと現場落ち(作品落ち?)で個人の役者さんに射抜かれることはあんまりなくて、作品を好きになって、じゃあこの人が出ている別の作品も見てみよう、ってなってジワジワとハマっていき、舞台挨拶後などで直接お話する機会とかがあるとすぐコロッと落ちます(あれ?ってことはやっぱり現場落ち?)

 

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これは、2020年から2021年の9月末までやっていた、好きな役者さんのyoutubeラジオの最終回。14:30くらいから約8分間、私のお便りを読んでお話をしてくださっています(URLで時間指定できてるかなあ…)。私がことばを大切にしようと強く感じるきっかけになった大好きな人です。この方のおかげで、私はことばが好きになったし、自分のことばを第三者に読んでもらうことで面白さや新しい発見があることを知ったし、何より、私のことばを素敵だと言ってくださった初めての方なので、感謝してもしきれません。ずっとこのラジオにお便りを送り続けるだけでしたが、2021年11月にようやく直接お会いできて、手書きのお手紙をお渡しできたのがよい思い出。

 

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こちらは、別の役者さんが毎日投稿されているラジオ。この方は、私が鬱になったときに「あなたのことばに何度も心を潤されました」っていうメッセージをくださった方で、その数日後にこのラジオだったので、私は勝手に、自分に向けて話してくださったのかなあ、と思って大切に大切に聞いています。

 

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ちなみにこちらが、上記の役者さんを知ったきっかけの作品です。主演のこの方だけでなく、この"バカ兄貴"役の方もすっっっっごく優しくて素敵な方で大好きです。私のクズ好き、不倫好き(?)はこの作品の影響が大きいくらい作品内ではクズでクズでクズで愛おしいお兄ちゃん。これは本当にたくさんの人に見てほしい。レンタルとかもあるので、何卒。

 

……全然サラッとしてねえのよ。笑


とにかく!2020年はAぇ! groupに出会ったおかげで卒業論文が楽しく進みました。これは本当に感謝しかない。

 

●2021年。

怒涛の沼落ちチョロオタ爆誕の1年です。


☆河下楽さん

来ました、現場落ちとはなんぞや、を教えてくれた人です。

もともと知ってはいて、歌のうまい方なんだなあ、くらいの印象でした。で、松下さんの『カメレオンズ・リップ』を東京に観に行くときに、ちょうどその前の空き時間、近くで『ラン・フォー・ユア・ワイフ』をやっている、一般でチケット取れる、ってことだったので、なんとなーくで行ったんです。

楽くん演じるスタンリー・ガードナーが登場した瞬間、
あっこれが一目惚れか………
となりました。
なんか、かっこよすぎたり色気凄すぎたり、推しの好きさが限界まで行くともはや笑っちゃう、みたいなこと、ありませんか?私はめちゃめちゃあるんですけど、まさにそれでした。よくわかんないけど笑っちゃうくらいもうスタンリーしか見えなくなっちゃって。
お芝居観るときは、中の人のこと意識せずストーリーをちゃんと味わいたいんですが、ダメでした。目の前にいる河下楽さんに落ちてしまいました。

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そして、前述した、福本担として参戦したサマスペでも、この人は私の視線を掴んで離しませんでした。
終わってから、「河下楽…………」しか呟けないくらい、本当に現場での引力が凄まじい。大晴くん、ペンライト途中でオレンジから白にしてごめん。あと事務所さん、サマスペのダイジェストください(どさくさ)

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で、11月に大阪での『ラン・フォー・ユア・ワイフ』で、4月から成長してアドリブとかにも楽しそうに対応しながらお芝居している楽くんにまた改めて一目惚れをし(一目惚れの定義とは)、すっかり沼、というかんじです。私にとって元祖現場落ちエピ

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☆伊野尾慧さん

これは正直まだ現場に行ったことがないのでなんとも言えないところはあるんですが……。
伊野尾さんに関しては、某フォロワーの熱烈な布教活動の賜物、みたいなとこが半分。笑
でもそうやって話を聞く中で、伊野尾さんの考え方や、雑誌でのことばの選び方が、いい意味で"痛い"人で、どんどん好きになっていました。あとは『群青ランナウェイ』のプロモーションをとても綿密に考えていらっしゃったのが、ただただすごいなあ、って尊敬する気持ちが強かったですね。アイドル、という表現者の部分だけでなく、どうやって曲を届け、魅せ、楽しませるか、という、ある種生産者、演出家的な部分まで行う伊野尾さん、もはや怖い。私自身、高校まで演劇部でお芝居の中身をつくる狂おしい苦しさを囓ったことがあるからこそ余計に。YouTubeで上がるMVやTwitterと連動していく、ストーリー性と「次はどうなるんだろう、早く知りたい、なんだろう」と好奇心を掻き立てるプロモーションを考え付く伊野尾P、ほんと怖いです。

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ハッキリ、ああもうダメだ、ってなったのは、8月頃のananかな……知念さんと伊野尾さんのインタビュー記事で、前髪分けてる伊野尾さんかっこよすぎて動揺してその日人生初めて髪染めに行きました(動揺しすぎ)
そもそものきっかけは、前述した松下さん出演の『カメレオンズ・リップ』の演出家さんが知念さん出演の『照くん、カミってる!』も演出されていて、配信あるから見てみて!と某フォロワーに勧められたことだったんです。なのにどうして伊野尾さんの沼に……?


☆髙木雄也さん

こちらも現場がまだなのでなんともですが…。

……私、いつ雄也さんに沼落ちした?
てか雄也さんの沼どこ????

………………あれ?

覚えている限りでの沼エピは、ライブDVDを見ていたときに『BANGER NIGHT』の落ちサビの雄也さんが髪をかきあげた瞬間、私はリモコンを投げ捨てそのまま1,2時間気を失ったように寝ていました。

……怖すぎるやろ。

まあいっか。現場に行ったらすべて解決するでしょう。
2022年は人妻に溺れるフリーター役をされるとのことで、その文言だけですでに息が苦しいです。不倫だよ不倫

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大倉忠義さん

来ました、華麗なる現場落ちエピ第2弾
(詳しいことは過去のブログに書いてます。笑)

いや、最初に書いたように、小中学生の頃にたっちょん好きー、みたいなとこはあったし、『窮鼠はチーズの夢を見る』も見たし、なんですけど。

楽くん含めAmBitious担として入った8BEAT福岡
まさかのバクステ最前。
終演後、「えっ……忠義さん……ただよし……」しか呟かなくなりました(楽くんのときとまったく同じ)

いや、もちろん、忠義さん以外のみなさんもめっちゃ近かったんですよ。
横山さんはほんまに美しかったし、丸山さんは私の両隣にファンサするし、安田さんは目合わせて手振ってくださったし(たぶん)、村上さんはたけちゃんとズブズブだったし、さあ…。
なんですが、なんかもう、忠義さんに落ちてました。悔しいです。最近はトリキの看板見ただけで悔しくなります(ただの八つ当たり)
落ちたっていうより、10年前くらいの初恋の記憶が蘇ったみたいなところはありますね。初恋じゃないけど。最初から芽はあったんだろうなあ。

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☆永岡蓮王くん

これがねえ…最近自覚した現場落ちエピ第3弾

蓮王に関しては、初現場はサマスペだったんですが、そのときは、ダンスうまいちびジュの一太シンメの子、っていう印象しかなかったんです。

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で、AmBitiousが結成され、島動画とかでフムフムこの右端の子が蓮王くんか…と思っていたんですけど。

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8BEAT福岡が終わってから、明らかに私、「れお可愛い」って言いまくってる
現場直後は忠義さんの衝撃強すぎて蓮王に落ちてることに気づいていなかったんですが、日が経つにつれ、私めちゃくちゃ蓮王好きになってる……ってなっています。オフショとか全部買いそう。
ダンスがうまい、可愛い、成長期、天然さん、声が意外と低い、そして闇の沼の香りがする大内リオンくんとのりおれおコンビ……これからもどんどん成長してね……
リチャ蓮王のダンスバトルは毎日見てます。7:26からです(時間指定できてるかなあ…)

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いやあ……
現場って、怖いですね。

 

●私は現場落ちしやすい人間なのか…?

ここまで書いていて、私どんだけチョロオタなんだ!?って自分でもビックリしています。
同時に、ジャニーズの現場に行ったら必ず落ちてる…?というのもちょっと振り返ってみました。

そうすると、意外とそうでもないんですよ!
(必死の形相でチョロオタのレッテルを返上しようとする私)

2020年は、小瀧望さんのエレファント・マンを観に行きました。たぶん私の初の生ジャニーズがこのときだったのですが、終始ゾクゾクして、惹き込まれました。
2021年は、1月に小柴陸くんの『一富士茄子牛焦げルギー』。陸くんのお芝居、真っ直ぐで、見ていてとても心地よいんですよね。
9月には桐山照史さん、松島聡さんの『赤シャツ』も行きました(ここに来て思い出したけど私2020年にSZのFC入りましたわ…)。ほんまに、桐山さんは迫力がすごかった。聡ちゃんは、舞台初出演とは思えないほど舞台の上でキラキラしてて、楽しそうで、何よりカーテンコールで1回ずつ丁寧に「ありがとうございました!」って言っているところを見て、この人は本当にお芝居が好きなんだろうなあ…と幸せで泣きました。

でも!私まだ(まだ)WESTさんのFC入っていないし、観終わってから「りっくん……りっくんよかった……」「聡ちゃん……聡ちゃん……」ともならなかったんです。
なので必ずしも現場落ちしやすい、ってわけでは、たぶん、ない。


……自信がなくなってきたので、試してみることにしました。

そう、周囲で沼が広がっているふぉ〜ゆ〜さんの現場に行って、現場落ちするか確かめてみよう!と思い立ったのです。

何を言っているのか、自分でも意味がわかりません。笑

 

●というわけで、実証実験。

というわけで、2021年の現場納めに、聖なる夜にふぉ〜ゆ〜さんの『ENTA!4』に行ってきました!!!!
席は2階席のほぼどセン。4人が横に並んだときに上手から2番目の人が0ズレ、みたいなかんじでした。

結果はこちらです。

・面白すぎて半分くらい記憶が飛んでいる。
・もともとあんまり存じ上げなかったけど、写真で見たことある印象より生で見る4人が5億倍くらいかっこよかった
・笑いすぎて疲れた。腹筋に効く
・照明の演出めちゃくちゃ綺麗で2階席最高。
限界社会人に効くふぉ〜ゆ〜とはこのことか……と思った。
・辰巳さんの話術がすごい。
・私服で面接行くコーナー(?)のときの勝地葉さん(辰巳さん)の対応力すごすぎた。仕事遅れてさらっと英語しゃべるし地面に引かれた布団は畳むし机をすり抜ける芦田愛菜ちゃん(福田さん)にはちゃんとツッコむし。いや布団たたむ勝地さん(辰巳さん)にきゅんとしたマジで。
・途中、舞台上でマンガみたいな奇跡が起きたときに笑いが止まらなくなっちゃったユウコちゃん(辰巳さん)とても可愛かった。
・いやあ辰巳さん格好良かった。道端で布団敷いて寝てる彼女を起こすときの頭をなでる感じが、あっこれはこれ以上直視しないほうがいいやつだ……と思った。
・終始カオスでなにが起こったかいまだによくわかってないけれどとても健康に良かった

総括。
『ふぉ〜ゆ〜さんの現場(というかENTA!)は健康食品』

…………伝わる?これ。
なんていうか、笑って体内の毒素を排出するために定期的に会いたい人たちだなあと思いました。
現場落ちは……してないんじゃないかな???(辰巳さんのことばっかり書いてるけど落ちたとは思ってない、思ってないよ、うん。)

以上、実証実験でした~!

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(と、ここまで書いたはいいものの、まる1日以上が経過し、ふと、「これ、蓮王と同じパターンで、今回は実験だ!って強く思いすぎたあまり落ちないように気をつけていたけれど、あとから現場落ちしていたことに気づくやつでは……」と思うくらいには、辰巳さんがかっこいい。上の動画は昨年のENTA!3のダイジェストですが、最後のほうの笑い転げている辰巳さん可愛い!ってなって無意識にスクショしてる自分がいて怖かったです(2021/12/28現在)。)

 

●終わりに。

そんなわけで私の沼落ちエピを振り返るだけのはてブでした。笑
最後まで読んでくださったみなさま、ありがとうございます。

ついったーって怖いもので、ちょっとでも「気になる…」と呟いたら最後、嗅ぎつけた先輩オタクさんがどんどん情報を与えてくださり気づいたら戻れない、みたいなとこがあります。
逆に、そういう後押しがなくても沼に落ちてる場合って、よっぽど惹かれるものがあるんだろうなあ、って思います。自ら沼の底まで行っているのは遣都さん、松下さん、蓮王……?(いや、れおはまだ沼の底じゃない、平気平気)(フラグを立てるな)

好き、という感情は、多ければ多いほど幸せになる機会が増えると、私は思っています。
もちろん、応援している人が多いほど傷ついたりモヤモヤしたりすることも多いかもしれません。推しの結婚を目の当たりにすることもあるでしょう(特大ブーメラン)。現場が多いほどお財布は泣くし、スケジュール調整は大変だし、部屋は物で溢れていくし、挙げだしたらキリがありません。
それでも、好きという感情って、活力になったり、目標になったり、勉強のきっかけになったり、自分次第でめちゃくちゃ生活を彩ることができるんですよね。自分の考えとして、ですが、私は好きという気持ちは大切にしよう、っていつも思っていて、これは過去にはてブも書いています。
だからなるべく無理なく、応援できるときは全力で、体力や時間やお金が自分を苦しめてしまうなら少しお休みして、なんとなく熱が冷めてきたら離れるのもありだと思っています。そんなふうに私はいろんな沼をプカプカと泳いでいきたいなあ〜と思います。

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ね、キティちゃんも、推しの数だけハッピーも増えるって言ってるし!(数日前にフォロワーさんに教えてもらったやつの受け売り)

 

あと、定期的に思うことで、これを書いていて改めて感じたんですけど、周りの布教があるとはいえ、好きになる人ってどこかでつながってるんですよね。
遣都さんきっかけで見た『スカーレット』で松下さんと正門さんに出会い、正門さんから関ジュに広がり大晴くんを好きになり、松下さんの舞台とたまたま同時期にやってた『ランフォー』で楽くんに落ち、松下さんの舞台の演出家さんつながりでJUMPさんに落ち、楽くんきっかけで行ったエイトさんのライブで忠義さんと蓮王に落ちる……

こう思うと、中3の私、よくぞ遣都さんに落ちてくれた……と思いますね。同時に、遣都さんが私の大部分を形成しているんだと強く感じます(重い)


ここまで読んでくださったみなさんの今年の楽しかったこと、オタ活、沼落ち生活はいかがでしたでしょうか。
大抵の人が「お前ほどじゃねえよ!」と言うと思いますが(そりゃそう)、みなさんの今の脳内に、好きな人、応援している人との楽しい思い出がひとつでもたくさん思い浮かんでいますように。
そして、みなさんの大好きな人が、来年も健やかに、大活躍する1年でありますように!


ではまた。気が向いたときに、思い出したようにつらつらと書きに来ます。
ありがとうございました!よいお年を!

 

 

●おまけ!Information


林遣都さん  KENTO HAYASHI official web site

・2022年1月14日(金)11:15〜 金曜ナイトドラマ『愛しい嘘 〜優しい闇〜』出演

金曜ナイトドラマ『愛しい嘘~優しい闇~』|テレビ朝日

・2022年4月より舞台『セールスマンの死』出演

セールスマンの死 | PARCO STAGE -パルコステージ-

「セールスマンの死」 林遣都 コメントmovie - YouTube

 

松下洸平さん  松下洸平 official web

・1stミニアルバム『あなた』発売中

松下洸平 | ビクターエンタテインメント

・2022年1月ライブツアー「KOUHEI MATSUSHITA LIVE TOUR 2022 CANVAS」開催(グッズが可愛いのでぜひ)

https://www.kouheiweb.com/canvas/

・2022年3月より舞台『夜来香ラプソディ』出演

cube 25th presents 音楽劇「夜来香(イエライシャン)ラプソディ」 | 【公式】株式会社キューブ オフィシャルサイト

 

 

☆福本大晴さん(Aぇ! group / 関西ジャニーズJr.)

福本大晴 プロフィール | ISLAND TV

・毎週月曜5:59〜ABCテレビおはよう朝日です』コメンテーター出演

おはよう朝日です | 朝日放送テレビ

☆Aぇ! group  Aぇ! group プロフィール | ISLAND TV

・毎週土曜深夜0:35〜ABCテレビ『THE GREATEST SHOW-NEN』放送中(見逃し配信あり)

THE GREATEST SHOW-NEN|朝日放送テレビ

・毎週土曜深夜1:30〜MBS『関西ジャニ博』放送中(見逃し配信あり)

関西ジャニ博 | MBS

・毎週水曜22:00〜MBSラジオ『Aぇ! groupのMBSヤングタウン』放送中

関西ジャニーズJr. Aぇ! groupのMBSヤングタウン| MBSラジオ AM1179 FM90.6

・(隔月)毎週火曜20時頃 YouTubeジャニーズJr.チャンネル担当

Aぇ! group【火曜更新】 - YouTube

 

☆河下楽さん(AmBitious / 関西ジャニーズJr.)

河下楽 プロフィール | ISLAND TV

 

☆伊野尾慧さん(Hey! Sαy! JUMP)  Hey! Say! JUMP | Johnny's net

・毎週水曜9:00〜NHK Eテレ『u & i』声の出演

u&i | NHK for School

・毎週木曜5:25〜フジテレビ系『めざましテレビ』出演

イノ調の裏側 - YouTube

・毎週土曜20:05〜NHK ラジオ第一『らじらー!サタデー』出演

らじらー!|NHKラジオ第1 - NHKオンライン

 

☆髙木雄也さん(Hey! Sαy! JUMP)  Hey! Say! JUMP | Johnny's net

・毎週火曜16:00〜FM大阪『Music Bit』出演

Music Bit - FM大阪 85.1

・毎週金曜21:00〜テレビ東京所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』出演

所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!:テレビ東京

・毎週金曜深夜0:30〜bayfm『JUMP da ベイベー!』出演

JUMP da ベイベー! | bayfm 78.0MHz ベイエフエム

・2022年3月舞台『裏切りの街』出演

裏切りの街 | PARCO STAGE -パルコステージ-

 

大倉忠義さん関ジャニ∞)  関ジャニ∞ | Johnny's net

大倉忠義/Producer (@J_ohkura_88) | Twitter

・2022年1月23日  ライブ『KANJANI'S Re:LIVE 8BEAT』生配信

KANJANI'S Re:LIVE 8BEAT | Johnny's net オンライン

・アルバム『8BEAT』発売中

8BEAT | 関ジャニ∞ (エイト) / INFINITY RECORDS 公式サイト

 

☆永岡蓮王さん(AmBitious / 関西ジャニーズJr.)

永岡蓮王 プロフィール | ISLAND TV

 

現実逃避から得たものと虚無な気持ちについて。

●はじめに。

 

こんにちは。こんばんは。
ご来訪くださりありがとうございます。
珍しく、めちゃくちゃ早いスパンで更新しています。笑

今日は、というか、今日も、備忘録的なブログで、今の私の気持ちをつらつらと書いていくだけなのでなにも中身はないんですが、もしお時間あればお付き合いください。
ことばを書きたい欲のままに書き始めているので、どんなまとめになるかすらわかりませんが…。

 

●エイトさんに出会って約1週間。

先日、エイトさんのライブに参戦し、その感想ブログ(またの名を沼落ちブログ)を掲載しました。

yurietty-pon.hatenablog.com


ありがたいことにたくさんの方に読んでいただいているようで、ご意見のマシュマロもいくつもいただき、本当にありがたいです。

ライブにいたあのとき感じた、“ああ、今、生きてる”、という感覚。
そして、私のことばで、私の見たもの感じたことを書いたブログをたくさんの方に読んでいただいていることで感じた、“私のことばが生きている”、という感覚。

間違いなく、関ジャニ∞さんが、くれた感情です。

 

約1週間経った今、私は8BEATを3形態持ち、十祭とGR8ESTのライブDVDを買い、ファンクラブに入り、悔しいくらいにズブズブです。


でも、それでも、前述した感覚は、ゆっくりと薄らいでいっています。

今は、それがすごく悲しくて、悔しくて、不安になります。

 

自分で自分の書いたブログを読み返して、アルバムを聴いて、それでも、だんだんと、遠ざかっていってしまうんです。
私、あのとき、生きていたはずなのに、今の私に何が残っているんだろう。

 

●黒い感情が戻ってきたわけじゃない。

 

前回のブログでもふれたように、エイトさんのライブに行くまでの私は、ずっと鬱々とした気持ちで、しにたいなあと思っていて、簡単にしぬ方法がないかなあとか、ずっと考えていました。社会復帰できる気もしない。退職するとしても手続きとか考えると面倒だし、休職に必要な資料は定期的に提出しなきゃいけなくて、それすら嫌。今この瞬間自分が生きていても生きてなくても、世界はなんも変わらないじゃん、みたいなことを考えて一日が過ぎていました。

ライブに参戦してから1週間。
その気持ちは、あんまり、表に出てきていません。

 

でも、なにか、空虚で、楽しい夢を見た後の喪失感がジワジワ迫ってくるような心地で。
決して落ち込んでいるわけではない気がするけれど、でも何もする気が起きなくて、ぼんやりと寝転がって、私何やってるんだろうなあ、って気持ち。

 

よく考えてみれば、そりゃそうなんですよね。
あのとき、生きてるって感じたからといって、私を取り巻く環境が良い方向に変わったわけじゃない。
私が、ことばを紡ぐ気力を思い出したところで、それが復職につながるわけじゃない。
何も、変わっていないんです。

エイトさんからパワーをもらったなら、それを糧に、自分が、動かなきゃいけない。
当たり前のことだけれど、そのことを考えて、あれ、私は今なにをしているんだろう、ってなっています。

 

今までは薄暗い入り組んだ迷路の中にいたような心地だったのが、今は、一面真っ白な、いや、透明な平野にぽつんと立っているような気持ち。
走ろうと思えば走れるはず。でも、どこに向かったらいいんだろう。
迷路じゃないのに、迷子。
みたいな気持ち。

 

自分でもうまく言い表せないので、伝わっているか、不安です。
伝わらなくてもいいけど、受け取ってくださったら嬉しいです。

 

●虚無な気持ちをことばにしようという無謀さ。

 

今の私、なんだかものすごく虚無です。
でも1週間前とは違っていて、とりあえず運動しようと思ってラジオ体操したり(それを運動と呼ぶかはさておき)、柔軟運動したり、こうやって書いてみると、生きようとしているのかなあ、ってかんじがします。
でも、ものすごく虚無。

 

なんなんでしょうね、この気持ちは。

 

鬱になって、東京に逃げてきて、いろんな人と会って話して。
その中で私は、どうしても、自分のことばを諦めたくなかった。
そして、エイトさんのライブに行って、今こうやってボロボロになっている自分だからこそ感じられるものがあって、それを表現できるのは自分しかいないんだ、ってことに気づいた。
社会不適合者の私が、社会不適合者なりに紡ぐことばに意味があるのかもしれない、って思ったんです。

でもふと周りの現実を見たときに、そういった自分の考えが、なんの役にも立たないことに気が付くんです。
たぶん、このまままた社会に出たら、私はまた、ことばに飲み込まれて息苦しくなって自分じゃないことばを吐く生活になって倒れるような気がするんです。

 

じゃあ、どうしたらいいんだろう。

 

という、虚無を、抱えています。

 

●帰ります。

 

こんな虚無な気持ちを抱えたまま、私はひとり暮らしのおうちに帰ります。
会社の資料や、ため込んだ郵便物がたくさん積みあがっている自分の部屋、考えただけでちょっと気持ちが落ち込むような、落ち込むことすら疲れるような気持ちです。

 

ほら、今も。
ここまで書いて、ことばを紡ぐ気力がなくなって、気づいたら2時間ぐらいぼーっとしていました。
まったく、自分のこととはいえ、他人事のように明日からの自分が心配になってきました。
大丈夫かねえ、私。

 

●終わりに。

 

冒頭に書いた通りなんの脈絡もないブログになってしまいました。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

 

うつ病になったこと、しにたいと考えるようになったこと、ぼーっとして動けない時間を過ごすようになったこと、それらを身に纏っているのが、今の私です。
それを、ネガティブなことではなく、自分の経験のひとつとして、私が紡ぐことばの要素のひとつとして、捉えられるようになれればいいなあ、とこの1週間で考えるようになりました。

私にはうつ病がどういうふうに良くなったり悪くなったりしていくのか、いまだによくわかっていないし、お薬が効いているのかどうかもいまいちわからない。少なくとも今は副作用で昼間も眠気に耐えられないような生活で、働くことができるかどうか、心配する気さえしてこないほど、社会に戻った自分が想像できない。
でも、今はまだ、その気持ちを、私のことばで残そう、っていう気持ちがある。
ひとまずはそれでいいのかもしれない。

きっとこれからも気分の波に翻弄されると思います。
天邪鬼な性格も相まって、みんながあまりに楽しそうだと急に殻に籠りたくなったり、妬んだり、すると思います。推しを見ても楽しくなれないかもしれません。
3日後にはもうツイートする気力すらなくなっている、なんてこともじゅうぶんあり得る。
それくらい、自分で自分のことがわからないんです。

 

だからせめて、ことばを紡げるときに、残しておこう、って思った。
ただそれだけの、ブログです。

 


ではまた。気が向いたときに、思い出したようにつらつらと書きにきます。
ありがとうございました!

うつ病の関ジュ担が #8BEAT に行って“息をした”お話。

●はじめに。


こんにちは。こんばんは。お久しぶりです。
ご来訪いただきありがとうございます。

今回は表題どおり、関ジャニ∞さんのコンサートのお話です。言語学はまったく関係ありません(そりゃそう)
具体的には、2021年12月9日(木)18時、福岡マリンメッセA館での公演についてのお話です。

話題の都合上、8BEATのセトリ等ネタバレを含みます。
そして私の記憶が曖昧すぎて事実と異なる場合があります。
なるべくそういったことのないようにしますが、目に余る間違いがあった場合は、そっとマシュマロ等で教えてください…

そしてどれだけ書いても目次の作り方がわからない私、今回の目次はこちらです。

・はじめに。
・きっかけと私の現状について。
・入場。(軽くネタバレあり)
・そして、ライブは始まった。(完全なネタバレ)
・終演後、そして次の日の私。(少しネタバレ…?)
関ジャニ∞さんが私にくれたもの。
・追伸。
・終わりに。

お分かりかと思いますが、超長いです
言いたいことはほとんど【関ジャニ∞さんが私にくれたもの。】に書いているので、そこを読んでくださるだけでも嬉しいです。

 

●きっかけと私の現状について。

 

ここはほんとに飛ばしてもらっても問題ないです!自分の備忘録として。


私は現在うつ病で仕事をお休みしていて、関西の一人暮らしの家と、東京の友人の家を行き来(というか一人でいたくないという言い訳の居候)しているような生活をしています。

 

12月5日(日)
昼の高速バスで東京から大阪へ行き、見たかった映画を見て、お会いしたかった監督さんと役者さんに直接お手紙を渡して、本当に嬉しくて幸せでこのまま人生終わりたいなあと泣きながら思っていた帰りの電車で、関ジュ担フォロワーさんから連絡が来ました。
「いつ東京帰ってくる?」
「7日の早朝~」
「まだわかんないんだけど、9日エイトさんの福岡行かない?」
「ほへっっっっ……?」

私は、小中学生のころに少しエイトさんが好きで、クラスメイトからアルバムを借りたり親に隠れてMステを何度も見返したりはしていましたが、以降、お金をかけて追いかける、というようなことはしていませんでした。なので私のスマホの中で最新のアルバムは『FIGHT』(今調べたら10年前リリースのものでガチでビビった)。当然、私の聴きなじみのあるエイトさんの歌声は7人の歌声。そんな私が行ってもいいものか…と思いつつも、ほかの人の返事待ちとのことで保留。私は奈良の一人暮らしの部屋に約1週間ぶりに帰り、現実が嫌すぎて玄関で靴も脱がずに号泣。なんとか部屋に入るも号泣。とにかく泣き疲れてそのまま就寝。

 

12月6日(月)
福本担を名乗ってるのにおは朝にはまったく間に合わない10時過ぎくらいに起床すると、昨夜のフォロワーさんから、
「福岡行こーーーー!!」
と連絡が来ていました。

このとき私が思っていた一番の懸念点は、日程でも金銭面でもなく、

AmBitiousを生で見る心構えを数日でできるのか!?!?

でした。
私は4月にあった舞台『ラン・フォー・ユア・ワイフ』で河下楽さんに一目惚れのような感情を抱き、以降サマスぺも、ランフォー大阪公演も、見るたびに楽くん大好き激重感情を垂れ流しているような人間です。
当然今回エイトさんのバックにAmBitiousがついていることも、アンビで1曲披露していて楽くんはじめメンバーがアクロバットを決めていることも、ファンサたくさんしてくれるとかいうことも、レポを読んで知っていました。
そんな、そんな成長真っ只中のAmBitiousに、河下楽に、3日後に会う…

運よくその日に、狼煙コンのグッズが届きました。
そう、AmBitiousのうちわが手元に来たのです。
狼煙コンはあけおめ含めて全滅だったので(ハハハッ……笑えない)、エイトさん行けるならそこで目いっぱいアンビうちわ振ってやる!
なんかほんとにもう、よくわからない情緒で、とりあえずアンビうちわと、Jrペンラと、双眼鏡を持って、家を出て、心療内科に行き(、薬が増えて気が落ち込み)、夜行バスへ。

 

12月7日(火)
早朝に東京の友人宅に帰宅。バスであまり眠れなかったので就寝。気づいたら16時。何もやる気が起きない。ダラダラして就寝。

 

12月8日(水)
ダラダラと10時くらいに起床。洗濯をする。昼寝をする。福岡行く準備をしなきゃなあと思いつつ、着替えが乾いていないのでドライヤーで乾かす。

そう、このときに、もう一つ私の中で懸念点があったんです。

 

これがそのときのツイートです。

急に暗い話になりますが、この1~2週間くらい、ずっと、しにたいなあ、って思っていました。友人宅で何もせず、言語学をする元気もなく、復職の準備を考えただけで心臓がイガイガして、薬は増えていくのにこの鬱々とした気持ちは全然よくならなくて。薬やアルコールの過剰摂取で自殺ができるか検索したり、失敗した場合の後遺症を調べたりもしていました。夢の中に首を吊る輪っか状になったロープが出てきたこともありました。
推しはたくさんいる。でも今の私にはそれが“生きがい”にはならない、んです。
それでも、楽くんのユニット参加は本当に嬉しかったし、AmBitious結成からの雑誌のインタビュー記事などを読むと、アンビ全体に対して期待感しかなくて。

だからこそ、そんな、AmBitiousの河下楽さんの生パフォーマンスを生で見たら、本当に現世になんの未練もなく、しにたい気持ちが加速してしまうんじゃないか。
そういった不安が、楽しみな気持ちの後ろにどっしりと胡坐をかいていました。

 

12月9日(木)
フォロワーさんとともに午前中のうちに福岡へ出発。成田まで行くのが正味いちばん疲れた。笑

基本的に移動時間ってなぜかすごく鬱々とした気持ちになるんです、私。新幹線でも夜行バスでも。
飛行機の中でも例外なく、気持ちがどんどん下がっていっていました。
晒すようなものでもないけれど、そのときの私の頭の中はこんなかんじでした。

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12がつ9にちのひとりごと。(前半)

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12がつ9にちのひとりごと。(後半)



推しに会えるというのに、こんな感情でいる自分が嫌。
会えるのが楽しみじゃないわけじゃなくて、生で見たら、最近抱えているこの真っ黒い感情が爆発してしまうんじゃないかっていう不安がどんどん大きくなっていっていました。

お昼ごろに福岡に到着。気を紛らわすために「山田涼介って本当に顔がいいよね…」という話をしたり(今振り返るとほんまに脈絡なさすぎる)、私の鬱々した話をフォロワーさんにぶつけたり(ごめん)、一旦ホテルにチェックインしてテレビをつけたらDIVERの再放送をしていたので正門さん探しをしたり。

どうしたらいいかわからないまま、悔いのないように楽くんを見よう、アンビうちわを振ろう、エイトさんの音楽を浴びよう、そんな気持ちで、会場に向かいました。

 


はい!!!!ここまでが前説です!!!!(長すぎ)
いよいよここから、会場に入っていくので、ネタバレ嫌だよーーって人はそろそろ気を付けてください!

 

●入場。


現地で合流した方(初めましてだったけど超いい人だったし末澤担だった)と3人で、フォロワーさんのデジチケをそわそわしながら見て、ん?んん??と、と、とりあえず中入ってみましょうか…????状態になる我々。
入る我々。
ここ…?んんん???

 

うまく説明ができないのですが、
大体大きいステージとして、メンステ、センステ、バクステとあって、
メインからセンターへは道があるけれど、バックへはアリトロ移動する感じで通路があって。
我々のたどり着いた場所が、
アリーナ席後ろのほうのブロック、通路の前から3列目(つまり、約3人分の距離間でトロッコが通る)。
そんで、
振り返るとバクステ

固まる我々。生命の危機を感じる我々。悟りを開く我々。そして気づく。

やべえ席じゃね????????

ちなみに3連で大倉担2人とアンビ担(?)1人、というかんじだったんですが、私もエイトさんの中だと大倉さんがいちばん好きなんですよねえ、となぜかそのときに2人に告白。
そして私はレポを漁り、バクステにアンビが来ることがあるのか確認。ない。そうか。おっけ。バクステにエイトさん、センステにアンビがいるときがあるという情報を手にした私は、バクステ最前でエイトさんに背を向けてアンビを見られるか…と自問自答。無理かなあ。

どんどんと埋まっていく客席。そして全方位から見えるセンターステージ。
この人数がAmBitiousのパフォーマンスを、楽くんのアクロバットを見るんだ……と思ったらそれだけでありえないほど嬉しくて、泣きそうで。


ここまで来ると、もう仕方ねえ、楽しむしかねえ!のマインドになっていました。

あくまで、AmBitious担として。(大フラグ)

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狼煙コンに行けない怨念を晴らすような体制。

 

●そして、ライブは始まった。

☆こっからガツガツセトリとか入ってきまーーす!!!ネタバレ回避の方は回れ右!!☆


まあ、基本的に私、ライブって泣くんですよ。これまで行ったライブ(JUJU、絢香松下洸平柏木ひなた、サマスペ)は全部そうで。
生の音を浴びる、っていう感覚で泣いちゃうんで、がっつりEighterじゃなくても泣くだろうな、とは思っていました。

 

が。とはいえ。

Re:LIVEからのズタボロ問答サタデーソングですよ。
最初に書いた、この1~2週間ずっとしにたいなあ、って思っていた私には、あまりにも力強すぎたんです。
5人が並んで、私たちと同じこの空間で歌っている。
それだけで歌詞の力強さが、CDで聴くより何十倍何百倍になっていた。
私はひねくれた人間だから、鬱々しているときって元気が出るような曲を聴いても、結局現実的にひとりぼっちで余計に虚しくなるんです。
でも、そうじゃなかった。
歌詞の中の「君」が私自身に刺さる感覚
生の声で、生の姿で、空間を共有しているからこその感覚で、苦しくて、今この瞬間は、私は、生きていていいんだ、って、感じられたんです。
(フェイスシールド×マスクで泣くの、どうにもなにもできなくて大変ですね)

 

そんなこんなで、私の関ジャニ∞と共有する時間”が始まりました。

ここからは、セトリ全部を拾える気はしないので、記憶があるところだけ。

 

無責任ヒーローからのT.W.L、まさに私がかつて好きだった頃の2曲。なんとなく振り付けも体が動く。楽しい。楽しいぞ…!好き感情舞い戻ってきて膨れ上がった。

この曲くらいだっけ?最初のアリトロがやってきたとき、純粋にトロッコ演出ありのコンサート初体験かつ通路から3列目の私、戸惑いました。

近い。
近いよ???
近くね???

しかもちょうど私たちのいる前あたりで、上手側と下手側から来たトロッコが並んで止まってメンバーが移動する、ってかんじで。

え、近。
近いのよ。ほんで長いのよ滞在時間。
大倉さんずっと向こう側向いてるやんこっち見てや。いや嘘です見ないでくださいこんな近距離で無理です。

 

そしてこの辺で私は目撃する。

私の右隣のフォロワー(大倉担)にファンサでグータッチをする丸山隆平さんを

あ、ファンサって、こういう風に行われるんだ……と謎の感動をする私。
そしてうちわの内容が見えるくらいの距離感なんだと改めて感じて震える私。

ロッコはアクリル板で挟まれて(?)いたんだけれど、それでもあの近距離で感じたこと。

横山さん、美

噂には聞いていたけれど、本当に美しくて貴公子で、意味わからなかった。
横山さん、なんでそんなにお美しいんですか。


そして5人でのMCタイム。
なんかめちゃくちゃ楽しかったですね。とにかく。
丸山さんが横山さんの唇を好いてる話からメンバー同士のキスについてとか、安田さんめちゃめちゃ覚えているなあとか、ライブ歴ゼロの私としては知らない話ばっかりだったけれど、長い時間を共にしてきているんだなあこの人たちは、っていうのがあのMCで伝わってきました。そりゃ当たり前だけどね。
あと、このときかな、「今日初めてエイトのライブに来てくれた人いるー?」って聞いてくださって、全力で手をあげました。なんか嬉しくて。

ほんで、MCが終わって、町中華YESかな。
ごめんなさい。あんまり記憶がない。
でも確かここでAmBitiousが出てきたんだよね。
楽くん目立つ髪色だし、やっぱり私は彼の踊りが好きだから、メンステにいても最初双眼鏡なしで見つけられて嬉しかった。
見つけたら双眼鏡でロックオンして見ていたけれど本当に好きだ、河下楽、好きだ、って気持ちでアンビうちわ振っていました。

ひとりにしないよ、は泣いた。
歌詞の内容が、うつで一人暮らしに戻りたくなくて泣いている私には強すぎるのよ。
あったかくて、もちろん、ことばに温度はないんだけれど、ここで感じた温度は、きっとこれからCDを聞き直すときにも思い出すことができるんだろうな、って思ったら、寂しくなくて、寂しくないのに泣いていた。

大阪ロマネスクは、Aぇ担的〈これ、進研ゼミでやったやつだ!〉(蘇るドリアイ)でした。
なので歌詞もわかるしサビの振りの動きもなんとなくわかって、嬉しかったなあ。

BOYの映像が終わってからのみんなで踊ろうタイムの君の歌をうたう、ここは、踊るタイムなのにごめんなさい、完全に河下楽さんだけを見ていましたキミへのキャロルもかな。
下手側の端で、大きな振りで笑顔で踊っている白い衣装の楽くん、貴方は幸せの擬人化ですか?ていうかんじでしたね。本当にあの笑顔を一生守りたい。というか白衣装のAmBitious儚くてクリスマスの妖精みたいで、一生守っていきたいと思いましたね。うん。

で、この辺で、ちょっと予定調和が崩れていくのです。

がむしゃら行進曲からイッツマイソウルで、エイトさんがトロッコに乗ってバクステに来るんですよね、確か、そのあたりで。で、アンビちゃんはセンステにいるんですよ。
私は、アンビちゃんを見たい。というかアンビちゃんのうちわ持ってるし。

と思っていました。
がしかし。

 

無理なんですよ

 

他のEighterさんの視線が怖い…とかじゃない。バクステ側から多大なる圧を感じて、背を向けるなんてできないんです。
気づいたらアンビちゃんたちはフラッグを持って走り去っていました。ファンサをもらうなんてこと、言ってられませんでした。
その間私は何をしていたのかと言われたら、バクステにいるエイトさんを見て、

横山さん美……
忠義さん……ただよしさん………

ってなっていたんです、確か。記憶が曖昧です。

そのあとのRAGEは何度目かの号泣。
だからさあ、生の5人の声で、まっすぐな歌詞を歌われてしまったら、今の私のボロボロでスカスカの心にぶっ刺さって抜けないんだよ(何回目?)
あと何より、(失礼になってしまったら申し訳ないですが)5人の生の歌声が本当に綺麗で素敵で。私の記憶の中にあるエイトさんとは全然違っていて。それは、ライブだからなのか、それとも私が知らない間に変化していたのか、私には知る由もないですが。


さあそしてやってきましたMCタイムwith AmBitious。
誰が来るかなあ、楽くん来るかなあ、と思いながら迎えたのは、永岡蓮王くん、真弓孟之くん、岡佑吏くん。
これがもう本当に可愛くて可愛くて、母性全開(もはやモンペ)でずっと大拍手を送っていました。我慢できずに隣のフォロワーさんの腕を握りしめていました。
まずれお。アクロバットするときに、「いきます!」「どこにいくんや!」のくだりを横山さんと5回くらいしてたんだけど、困って答えないんじゃなくて、上を指さしたりとか、「上照明あるから危ないで!」って言われたら「ちょっと緩めでいきます!」って言ったり、横山さんとのやりとりが可愛くてだな…。そしてその間ずっとれおの片足を支えて肩を持っていてあげるたけちゃんの横顔の凛々しさと可愛さ。そしてちょっと後ろのほうで困ったようにニコニコしている岡ちゃん。もう全員まるっと可愛い。好き。可愛い。可愛い。そんで横山さんが「俺も(アクロバット)やってみていい?」って言ったとき、「上照明あるから気を付けてくださいね」ってやり返してて、れおぉぉぉぉお前そんなこともできるのかあぁぁぁすげえなあぁぁぁ、と大拍手。そのあと誰かエイトさんのメンバーに耳打ちしてもらって、ちゃんと、「いくとき言ってくださいね!」「いきます!」「どこにーーー!」ってやってて、もうこの子の将来安泰、と大拍手。
次のたけちゃんは、もうおなじみのタカツキッズ。てかモニターで改めてお顔を拝見して、可愛いしかっこいいしなんだこの子……ってなりました。村上さんの好きなところを聞かれて、「八重歯が可愛い、面白い、お小遣いをくれる」って言ったときは、たけぇぇぇぇお前そうやってオチをつけることまでできるのかぁぁぁぁすげえなあぁぁぁぁ、と大拍手。ぜひ村上さんとテレビ局のお偉いさんに挨拶回りしてきてね。
最後に岡ちゃん。いや、もう、可愛い。お餅。モニターで見る岡ちゃんほんまに、お餅。可愛い。「早口言葉やります」って言ったときにエイトさんから「3歳みたいやな」って言われてフヘって笑ったおかゆうりくん(3さい)最高に可愛かったです。自己紹介をその場で考える岡ちゃん、「どんどんどんどん、丘!岡佑吏です!」という、おそらく会場内の全員が一瞬脳内にはてなを浮かべていたであろうとき、私はフォロワーさんとともにバクステ側からメンステに向かって大拍手を送っていました。見えてたかなあ(見えてたらクソ恥ずいぞ)。とにかく可愛くて私は抑えきれない愛おしさをすべて隣のフォロワーさんを抱きしめることで発散していました。

と、いうかんじでアンビちゃんとのMC終了。やっぱり私アンビ好きだし、可能性しか感じられねえ最強じゃん…という気持ち。

 

安田さんギターでのアコースティック友よ、最高だったなあ。
歌を届ける、ってこういうことなのか、って改めて感じました。
“なぁ友よ/人生って最高だろう?/だからやめられないんだろう”
ライブじゃなかったら、ただ音源を聴くだけだったら、今の私にこの歌詞は重すぎた。そんなことねえ、苦しいよ、早くやめたいよ、って思っていた。
でも、目の前で、エイトさんが歌っていて、それをたくさんの愛を持ったEighterさんが聴いているという空間で、“最高だろう?”と問いかけられたとき、私の中でそれを否定しない自分がいた。ずっとしにたくて、今日の思い出で満足してまた明日からしぬ場所探しをするんだろうと思っていた自分が、そのとき久しぶりに、生きていてよかった、って、思ったんです。涙でほとんど5人の姿は見えなかったけれど、歌声を浴びました。

そして、(当初の予定では)大本命、AmBitiousによるAMBITIOUS JAPAN!
私は関ジュ担歴1年ちょっとで、楽くんに落ちたのも今年の4月で、ファンとか成長とかを語れるような人間じゃないかもしれないけれど、それでも、あのセンターステージで歌って踊っているみんなが本当に輝いていておっきくてもう最高以外の感想が出てこなかった。たけちゃん、マジで顔がいい。
“会いたくて 会いたくて たまらないから旅に出た”の楽くんソロ、なんて形容したらいいんでしょう。かっこよくて、歌がうまくて、私の中にあるすべての幸せと喜びと愛情をぎゅーーーーって凝縮したような気持ち。アイドル河下楽を好きでいる自分、すげえ、とまで思った。もはや支離滅裂。
楽くんソロ後若干意識が薄らいでいるのでサビがどうだったとか、ごめん、わかんねえ。最高だったことは確か。
で、間奏のアクロバット

河下楽、貴方は天才か。
AmBitious、貴方たちは天才か。

というかんじで私の全細胞がAmBitiousによって活性化された時間が終わりました。

 

私は、ここで力尽きる、はずでした。
しかし現実はそう甘くなかったのです。ここからこそ本題と言っても過言ではありません(今すでに7000字書いてますけど?)


そう、恐怖のレミダンです。

いや、最初のほうは、アンビちゃんの余韻が抜けずに、メンステのエイトさんを見て、かっこいいなあ…くらいだったんです。
ただ、どのタイミングかわからないけれど、
忠義さんがサングラスをちょっと下げてこちらを見てきたとき(伝われ)、あまりにかっこよくて、さっきまで活性化されていた全細胞が完全停止しました。
そしてセンステにやってくる5人。もしかしたらすでに浮世踊りビトだったかもしれない。いや、もう曲の記憶がない。

曲の記憶がないくらいに、サングラスの大倉忠義が、私の細胞をグサグサ攻撃してきたのです。

大倉さんがかっこいいことは昔から知っているし、他のメンバーに比べたら『知ってるワイフ』も『窮鼠は~』も見ていたし、ね、うん、みたいなはずだったんです。
でもダメでした。不可抗力でした。生で見る大倉忠義、ヤバかった。

そのまま始まる稲妻ブルースは、かっこよすぎて反則だろ、とブチ切れながら、脚でリズムをとりながら歌う忠義さんwithサングラスを、ただ、眺めていました。口元を手で押さえていないと落ち着かないくらいでした。なるほどフェイスシールドって致死量のアイドルを浴びるのを防ぐためにあるのか、と妙な悟りまで開きました。そして曲の最後にサングラスを外して投げ捨てる忠義。はい、完敗。

 

お分かりかと思いますが、ここからもう私は語彙力完全喪失しています。悪しからず。

 

ブリュレは〈これ、進研ゼミ(以下略)〉の再来と、私の小学生時代の記憶の再来のダブルパンチで、最高。踊るエイトさんバチクソかっけえ。マジで。
って思ってたら私の視界にエイトさん以外のメンバーが入ってきました。そう、AmBitious。楽くんのブリュレ、楽くんのブリュレ、楽くんのブリュレ…が……ハハハッ……好きだよ楽くん……

赤裸々は、ごめんなさい、もうなんか全然記憶がない。

 

そしてバンド。

少し思い出話になりますが、小中学生のときの私、バンド曲で落ちサビを歌う大倉さんがとても大好きだったんです。LIFEか、ツブサニコイで、Mステのときにそこの落ちサビの部分でちょっとリズムが狂っちゃって有識者さんへ、ありましたよね?)、でもそれが生だからこそなんだなあと思いながら見ていたんです。ほんで、ドラムを叩いている姿が本当にかっこよかった。
それと同時に、私の中でのバンドのエイトさんは、そのあたりで記憶が止まっている。最初にも書いたとおり、7人の記憶しかなかった。だから、ただ、楽しみだったんです。はい、思い出話おーわり!

8BEAT始まりの横山さん、大優勝。このときすでに脳内のヤフー知恵袋「横山さんって現在おいくつですか???」と10回目くらいの投稿をしていました。

NOROSHIは、〈これ、進研ゼミ(以下略)〉(蘇るサマスペ)でした。
でも少しだけ違っていたことがあって。
サマスペのNOROSHIのとき、自分でも笑っちゃうくらいにこの曲の、曲としての記憶がなかったんです。なぜなら、下手側の上段で和太鼓を叩く河下楽をずっと見ていたから
だから音源でこの曲を聴いても、Aぇさんがやってたやつだーるんるん、じゃなくて、楽くんの和太鼓…かっこよかった…拗らせ…、ってなっていたんです、今までは。
それが、私の脳裏に焼き付いていた和太鼓楽くんを吹っ飛ばすくらいの、ド迫力。メンステからは程遠いのに、熱い音と歌声と空気の振動が、熱い。ってなって、ボロボロ泣いていました。

続いて、〈これ、進研ゼミ(以下略)〉(なにかのもんビバ?)。
なにかのもんビバも、リアルタイムで知っていたわけじゃないし、サビしか知らなかったので初めて頭から聞いたけれど、まあもうかっこいいしか出てこねえ。かっこいいに決まってんだろ。ひれ伏すわ。双眼鏡を使うのを諦めても遠くのほうに確かに見える力強くドラムを叩く忠義さん、ああ、忠義さん、ううう。

言ったじゃないかは、私の記憶の中で聴いたことあるけれどあまり覚えてない…っていう曲だったんですが、そんな個人的な事情を吹っ飛ばして音を浴びせてくれるのがエイトさん。ここら辺は私は前の人の席の背もたれに若干掴まってないと立っていられないくらい溺れていました。

そして、Aぇ担的〈これゼミ〉の代表格、勝手に仕上がれ
そりゃぶちあがるしかないでしょうよ。
この曲の頭のタイミングかな、後ろに「関ジャニ∞」って書かれたでっかい幕がドーンと降りてきて、そりゃあもう格好いいんですよ
声は出せないけれど、事前にEighterさんたちが届けた歓声とともに、ペンラ振ってピースサイン振って、とにかく熱かった。熱かった。

あ、どこからだっけ、バンドのどっかから安田さんがサングラスを外していて。
無理しないでね…と勝手ながらに思いながら、それでもやっぱり、安田さんも、きっと、この景色を、サングラスを通さずに見たいのかな、なんて思って、私もあなたの顔が見られて幸せです、なんて思って、勝手に泣いていました。

バンド曲最後は、LIFE ~目の前の向こうへ~
これは、個人的にももともと本当に大好きな曲で、仕事休む直前心がボロボロのときに通勤中に聴いていたくらい大好きな曲で、大好きで、大好きで。突き抜けるような赤い歌声がいつも仕事で動かなくなった私の心に刺さってきて。たぶん幼き私もこの曲あたりでエイトさんに興味を持ち始めたんじゃなかったかな、確か。
エイトさんにとって、Eighterさんにとって、この曲にどういう思い入れがあるのか、私にはわかりません。でも、なんにせよ、私は、この曲が大好きなんです。
時間を超えて、私が聴いていたころとは違う歌割りで、それでも、この曲のパワーは変わらず私に刺さってきました。痛くて、苦しくて、決して真っ白な綺麗事だけ光じゃないのかもしれない、いろんなものを含んだ、複雑な色の、それでいてがっしりと強い光が、私に刺さってきたんです。
そして前述した大好きな落ちサビの大倉忠義さん
“あの日交わした約束をずっと覚えているから涙こらえて”
歌声、歌い切って一瞬ブワッて上を向く姿、そして力強いドラム。

 

私の全細胞が震え上がった。
忠義さんが、私の全細胞に焼き付いてしまった。

 

何言ってんだこいつ、と思った方、私もそう思います。
でも今30分かけてこのときの自分の感情を表すことばを紡ごうとした結果、こうなったんです。どうか伝われ。

そんなこんなで、私の魂は5人のバンドの熱によって焼き尽くされ灰になりました


挨拶のところは、私記憶力よくないし、正確なこと書けないんですが、
丸山さんが、「みんな、しんどいよね」(「しんどかったよね」かも)って言ってくださった瞬間、あ、だから今日のライブはこんなにあったかかったんだ、って気づきました。
安田さんが、「最高で最強じゃない僕らのときもあったかもしれないけど、人間らしいアイドルなんじゃないかな」っておっしゃったとき、あ、だからこの人たちは人の心の位置を知っていて、そこに響くエンターテインメントを生み出せるんだ、って気づきました。
もちろん私が勝手に思っていることです。いわゆる彼らの歴史をハッキリ知らないから、解釈として間違っていると思う人もいるかもしれない。それでも、初めて関ジャニ∞のライブを浴びた私には、5人のことばが、このライブのあたたかさの裏付けというか、この人たちだから今の私はこういう気持ちでいられるんだ、と思ったんです。

本編ラスト、キミトミタイセカイ
ただ、関ジャニ∞の歌声を浴びている幸せだけでした。


ふう…………
ってしている暇もないんですよねこれが。

アンコール1曲目、関ジャニ∞ on the STAGE
知っていたんです。この曲で河下担が落ちるシーンがあることは。覚悟は一応あったんです。
しかしながら、この曲にたどり着くまでに私が忠義さんにひれ伏している予定はなかったんです。
アンコール1曲目ってかんじで、AmBitiousも含めてわちゃわちゃ楽しい可愛い時間が流れ、そしてその瞬間がやってきました。

自撮り棒を持ってくる楽くん。
忠義さんに近づく楽くん。
モニターに映る、忠義さんと楽くんの自撮りツーショット。

冗談だろと思うかもしれませんが、その場に立っていられず崩れこむように一旦座りました(隣のフォロワーさんが腕を引っ張り上げてくれて数秒後に再び立ち上がる私)
そしてもうこれ以上の衝撃はないだろうと朦朧とした頭で見ていた矢先に、“La La La…”のところでエイトさんの周りに外向きに座るアンビちゃんたち。
ご存じの方は少ないかもしれませんが、私は、三角座り大好き人間でして、その私にとってあのラララのシーンは、あ…私…召される……ってかんじでした。
これ以上記憶ありません。

アンコール2曲目。ズッコケ男道
確かアンビちゃんのファンサもらうチャンスよなと思いながら、早々に諦める私(後で知った、そのときもうアンビちゃんは大阪に帰っていたらしい)
なぜなら、バクステにエイトさんがやってきたから。
バクステ、せり上がっていくと、アリーナバクステ最前からはほとんど何も見えなくなるんです。こっち側に立っている人は見えるけれど、ってかんじで。
その、こっち側に立っている人が、
忠義さんだったわけです。

たぶん嘘じゃないと思うんですけど、みなさん街を歩いているときに信号を見つけたら、信号から4歩離れたくらいの距離に立って、信号を見上げてみてください。

その距離に、忠義さんだったわけです。

今思い返せば、私はその距離で、緑のペンラとAmBitiousのうちわをプロデューサに向かって振っているという、あっちから見たらなんなんだ案件だったと思います。
でもそこまで頭が回らないくらい、忠義さんが、そこに、いました

3曲目のココロに花が始まる前か始まった直後かな、バクステが下がってきたとき、丸山さんがこちらにいらっしゃりファンサの鬼と化していました。
たぶん、腹筋見せて!とか、おなか割れてる?みたいなうちわを見つけたらしき丸山さん、突然衣装の腹部をまくり上げるのでぬえええ!?ってなりました。
その後、私の左隣の同行者さん(大倉担)のうちわにも反応して、声なしで名前を呼んであげているのを私は真横で見て、絶句しました。そのあとその子が大倉担だとわかったときの丸山さんのしょげた顔、あまりに可愛すぎて息が止まりました。
ココロに花は歌詞も沁みるし、途中で横山さんが歌うの忘れちゃって「…あ、ごめんなさい!」ってなったのも可愛かったし、終わっちゃう、って気持ちもあったし、いろんな気持ちで泣きながらペンラを振り回していました。

 

そして、最後に、いつもの。
声は出せないけれど。
会場の空気が、ぎゅってなった、そんな気がしました。

 

こうして、私の、初めての関ジャニ∞の現場が終わりました。

 

●終演後、そして次の日の私。

 

私の予定としては、マリンメッセを出るころには「がっくん……楽くん……河下楽……AmBitiousよかった……」と放心状態になっている予定でした。そして夜になるころにはまた鬱々とした気持ちになって、誘ってくれたフォロワーさんを困らせているはずでした。
ところが現実は、

「え…あのさ……忠義さん……あのー、忠義さん近かったね……」
「忠義さん……かっこよかった……」
「いや、もともと好きだったよ?でもさ、え、忠義さん……」
「ちょっとよくわかんない…」
「あのー……忠義……」

語彙が「忠義さん」以外なくなる。

もちろん、長々と前述したようにアンビちゃんの可愛いところもたくさんたくさん記憶に残っていました。れお可愛い。楽くん最高。
がしかし。
おいプロデューサ。
だんだんと忠義さんにキレだす私(治安悪)

「忠義さん、なんなん……」
「レミダンの忠義さん、なんなん……」
「ファンサ全然しないやん……でもさ…いたよね…存在してたよね……」
「こんなはずじゃなかった……」

そのままのテンションで博多駅のイルミネーションを見て(綺麗だった!)、コンビニで晩ご飯を買い、ホテルに戻りました。
眠い、でも寝たくない、記憶が新鮮なうちに話せる人と話したい、の一心でなんだかんだ深夜3時くらいまでフォロワーさんと語っていました。語るっていうか、たぶん「忠義さんなんなん…」と「あんびちゃん可愛かった…」が語彙の半分くらいだったと思います。

 

12月10日(金)

私のいつものアラーム、WESTVショッピングで起床(なぜ)。
午前中のうちに飛行機に乗り、福岡から東京へ帰りました。

そしてその最中、私はひとつの過ちを犯しました(過ちとか言うな)
Eighterのフォロワーさんに、夜中の熱が冷めやらぬうちに横山さんが貴公子でした…という報告DMを送ったのです。
そしてその流れで、忠義さん…無双……という感情も垂れ流して送りました。これが、9時半頃
飛行機を降りたのが13時頃スマホを見るとそのフォロワーさんから恐ろしい返信が。

「ソロ曲を聴けば、御曹司の忠義さんと合法的な不倫ができます(語弊)」

…………。
……………………。
とりあえず昼ご飯を食べました。

そして16時頃私はCDショップにいました。
店頭には通常盤と初回限定盤が置いてありました。
ついてきてくれたフォロワーさんに、これじゃないけどこれはライブ映像入ってるからこれもいいよ~、と言われる私。
そしてフォロワーさんが私に代わって店員さんに、在庫を尋ねてくれました。
店員さんがレジの奥から大きいブツを持ってきて、こちらですかね?と。それが完全生産限定盤。
私が、あれ、初回盤?じゃなかったっけ…と呟くと店員さんが再びレジの奥から初回限定盤を持ってきてくださってこちらのほうですかね?と。
私はフォロワーさんのほうを振り返り、

「忠義さんと合法的に不倫できるのどっち?」

という、店員さんほんまごめんなさい、みたいな質問を繰り広げました。

 

で、そのあと数分の記憶がちょっとないんですが、

 

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…………???

気づいたら両方とも買っていました。


………。
本当にあった怖い話です。


そうしてようやく家(友人宅)に帰り、体内からこの感情を吐き出したい、ことばを出したい、という欲望が久々に爆発し、20時頃からこのブログを書き始めたわけです。

 

関ジャニ∞さんが私にくれたもの。

ブログのタイトルにもしているように、私は健やかなる社会人Eighterではなく、うつ病で仕事を休んでいる関ジュ担です。
毎日友人宅でずっと寝ていて、家にあるご飯を適当に食べて、薬を飲んで、寝て、長時間寝られず夜中に起きて泣いて、寝て。生きているかしんでいるかもわからない、誰も見ていない生活。
直接的な表現は控えるべきかもしれないし、嫌な思いをされる方もいると思いますが、それでも私は本気で、このライブが終わったら、私はより一層しにたくなるんだろう、って思っていたんです。

 

でも、関ジャニ∞は、私に息の仕方を教えてくれました

 

あの3時間、私は本当に久しぶりに、ああ今、生きてるなあ、って感じました。

そしてこうやって、私が大好きでたまらない”ことばを紡いで自分の中を表現する”という欲求を、本当に久しぶりに思い出させてくれました。
満足してこの世に未練がなくなると思っていたのに、憐れな人間は欲求を思い出してしまったんです。

 

正直この熱がいつまで続くかわかりません。
あの瞬間、生きてる、って感じたけれど、これからも生きていたい、とは正直まだ言えません。社会復帰できるかもわからない。社会の中で生きるのが下手なのは変わっていないんだから。

でも、さっきね、ぼんやりと、
もしFCに入ったりグッズ買ったり過去作買ったりするなら、そのためには働かないといけないよなあ……
って考えている自分に気づいて、ちょっと笑っちゃいました。


ちょっと脱線しますが、

数ヶ月前まで私の好きな役者さんがラジオをやっていて、私はよくお便りを送っていました。そのラジオの最終回のとき、私の書く文章について「ちゃんと傷ついていて、それでも大事なものを壊したくない、っていうことが伝わってくる」って言ってもらえて、本当に嬉しかったんです。
綺麗なことだけじゃない、傷ついていること、苦しさや痛みを通して自分が感じたことを人に伝えられることばを、私は紡いでいきたいし、私が好きだと感じる人や作品は、きっとそういう共通点があるんだなあ、って思っていました。
そして、エイトさんのライブは、まるでそうやって生きてきた私を当たり前かのように抱きしめてくれました。傷ついたことは忘れて楽しもうぜ、じゃなくて、それも含めて歩いてきた道がまるごと俺らで、同じようにそれがまるごと貴方だ!っていう心地がしました。

前回のブログでも詳しく書きましたが、私は、うつ病になってしにたいと思うようになってから、ひとつだけ、ずっと言い続けていることがあります。
それは、「私は、私のことばを殺したくない。」ということ。
だからなるべく、日記みたいに、思ったこと、生まれた感情を書き残すようにしていました。たとえそれが鬱々とした思いでも、そのまま、生々しく遺すことだけは最期まで諦めずにいよう、と思って書き続けていました。

この備忘録のようなブログは、読むみなさんにとっては長々しくて何を言いたいかわからん!って思われるかもしれません。

 

でも、私、今ものすごく楽しいです。
久しぶりに自分のことばが踊っていて、ものすごく楽しいです。
自分からどんどんことばが溢れてきて、うるさいくらいで、でもそのひとつひとつが私の視界の中にいる真っ黒い感情を隠してくれている、そんな感覚。

 

だから、忘れたくなくて、ここに残しました。

 

●追伸。


今回、2日間付き合ってくれたフォロワーさんへ。

楽しかったね。本当に楽しかった。夢だったかもしれない。

私を誘ってくれてありがとう。

たぶん、実際に行くまでとか、入る前とか、心配をかけていたかもしれない。私自身、ちゃんと楽しめる心が自分にあるか、ちょっと不安だったりもした。
福岡着いてから、鬱々とした話たくさん聞かせてしまってごめんね。聞いてくれてありがとう。Twitterやブログで文字にすることはあっても、声に出すことはなかなかないから、思いどおり伝わっているかもわからないし、自分が何を話したかももはやあんまり覚えてない。笑
ライブ中、ほんとに半分以上しがみついてたと思う。なんとか人間のかたちを保っていられたのも貴方のおかげです。終わってから、私のどうしようもない「忠義さん……忠義さん……?」といううわ言を聞いてくれて、一緒に忠義さん談義してくれてありがとう。

久しぶりに、物理的にめちゃくちゃ甘えてしまいました。
不安だったり、どうしたらいいかわかんなかったり、寂しかったりしたときに、つい腕を掴んだり手を握ったり寄りかかったりしてしまいました。
でもそのおかげで私は、すっごく安心していたんだよ。
人とくっつくの苦手、って人もいると思うし、私もどちらかと言えば苦手なほうではあるんだけれど(え?)、でもごめん、今回は思いっきり甘えさせてもらった。ありがとね。

感謝してもしきれんなあ。
とにかく私は、本ッッッ当に楽しかった。このブログに詰め込まれてると思うけど、詰め込みきれないくらいに楽しかったし、久しぶりに生きてるって感じられたのは、他でもない貴方のおかげだよ。大げさじゃなく、気力を生み出すきっかけをくれてありがとう。

 

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楽しかったけれどこれはただのプロデューサ。笑

 

●終わりに。

はてさて、ここまですべてお読みいただいた方……もしいらっしゃれば心から感謝します。
半分以上は、私の、とにかくことばを紡ぎたい!記憶を少しでも私のことばで残しておきたい!ただよしぃぃぃぃ!!!っていう気持ちから生まれたブログなのですが、もしもこれを読んで、なにか感じてくださる方がいたら、それ以上幸せなことはありません。

 

私へ。
たとえ、明日になったらまた鬱々とした気持ちが帰ってきていたとしても、しにたくてうずくまっていたとしても、私はここに残しておくよ。
私が生きていた瞬間の物語を。私のことばで。
だから、あのとき感じた熱を、忘れないでいられるといいね。
ライブが終わってから丸2日経って、今の私は、楽しい、って感情を持っているよ。それは、ライブが楽しかったからだけじゃない。こうやって、ことばを書いているから。
私って、やっぱりことばが好きみたいだ。
それで苦しむのもよくわかってる。でも、どっかに生きる場所、見つけたいな。ズタボロになった私だからこそ居られる場所。あったらいいね。

 

そんでもって、その居場所に行くきっかけに、エイトさんが道標になってくれるかもしれないね。

 

 

ではまた。気が向いたときに、思い出したようにつらつらと書きに来ます。
ありがとうございました!