学ぶってなんだろうなあ、ってぼんやり考えたお話。

●はじめに。

こんにちは。こんばんは。
ご来訪いただき、ありがとうございます😊

さて、今日は言語学の分析はしません。
タイトルどおり、思っていることをつらつら書くだけのブログですので、お時間許す限りお読みいただけたらな、と思います。


●社会人になりました。

このはてブの初めての投稿は、私が卒論で扱った内容について、少し砕きながら自分の理解を深めるために書いたものでした。

https://yurietty-pon.hatenablog.com/entry/2021/02/02/165232

このあと、卒論の口述試験も難なく終え、3月に卒業式を迎え(サボったけど)、4月より社会人になりました。


大学院に行くことは、何度も考えてました。
だし、先生にも友人にも両親にも勧められたくらい、まわりから見ても学問好きの人間だったみたいです。

でも進学する道は選ばず、就活に全力投球する道を選びました。
理由は至って簡単。

試験勉強が嫌いだから。

人それぞれ得意不得意、好き嫌いは異なると思います。
正解があるほうがやりやすい人、自分のやり方で研究するのが好きな人、1人でいるのが好き、人と話すのが好き、などなど……

私は、"学ぶ"こと、"見つける"ことは大好きだったのですが、点数がついたり順位がついたりすることがあまり好きではありません。
私は私なんだからそれでいいじゃねえか!ってなるタイプです(?)。そのくせ負けず嫌いだから下位になるのはもっといや。
そのため昔から試験は嫌いで。でも勉強は好きだからまわりは私を優等生だと思って勝手に期待してて。それを裏切るのも嫌だから必死に答えのある勉強をして………と、勝手にひとりでグルグルしてたんです。
院に行くとなったら、また同じことになってしまうのかなあ、自分のペースで勉強できないのかなあ、なんてことを考え、就職する道を選んだというわけでした。
言語学とお別れするわけじゃないから、テストとかレポートに追われることなくのんびりつづけていこう、そんなふうに思っていたんです。


言語学に未練タラタラな私。

そんなわけで社会人になった私。
今の気持ちをひとことで言えば、

言語学やりてえええええええええええ

ってかんじなんですよ。

私、自分が思っていた以上に、勉強が好きだったみたいです。

ひとつだけ言いたいのは、勉強が好き真面目・優等生ということです。
よく、勉強が好きっていうと、「偉いねえ」とか「真面目やなあ」って言われることがあるんですけど、別にそういうわけじゃまったくないと私は思ってて。
あとの話にも繋がるんですけど、ただの自己満足なんです。私にとって。
勉強する人が偉い、頭がいい人はすごい、みたいなんはなんか違うんだろうなあ、って私は思っています。
目指すものがあって努力を重ねて知識を蓄えている人はその努力や継続性を尊敬しますし、そういった努力は学力面以外でだって見ることができる。
(完全に脳内で大晴くんのことを考えながら書いてます今)
数値化されやすい、言葉を選ばず言えば"利用しやすい"のが学力ってだけなのかな、っていうのが持論。

話が逸れました。すみません。

そう、言語学が大好きで、やるなと言われれば言われるほどやりたくなる。人間の性ですねこれは。

そこに追い打ちをかけてきた、新社会人の私に降りかかった試練が、
業務内容がバリバリの理系
というわけで、もう泣けないですよこんなの。

まあ、頭を回転させるのはきらいじゃないから、理系だって慣れてきたら楽しくなるのかもしれないですけど、少なくとも今は、絶望しか感じてないです。笑


●なんでこんなに好きなんだろう。の気持ち。

院に行くことを迷っていたとき、知り合いとやり取りをしていて、「院に行くことが甘えみたいな、モラトリアム期間伸ばしてるような気がする」と自分で表現していたのを最近思い出しました。

私にとって学問は自己満足で、大好きなもので。だからこそお金を使って学び続けることにどっかで罪悪感を持っていた、というか。
結局ダラダラしてしまうんじゃないか、と思った、というか。

遊んでいる気分の自分と、"学問を極めて偉いね"と言ってくる(かもしれない)まわりから見た自分像に、どんどんギャップが生まれてしまうなあと思ったんだと思います。

いざ、社会人になって、未練タラタラで、じゃあなんでこんなに好きなんだろう、と考えることが増えました。


まあ、理由なんてないんですよね(大の字)(解決する気ゼロ)


ドラマや映画を見ててダウンシフトが起きればニヤニヤしてしまうし、上司と話してて「自分の趣味、男男らしい趣味だからなあ〜」とか言われたらその趣味なんてどうでもよくて「男男らしい」という畳語表現にニヤニヤしてしまうし、FFさんと言語学の話するの楽しすぎるし、そんな毎日なわけで。

むりやり理由を探すとしたら、
そういう視点を手に入れたから
のひとことに尽きるのかなあ。

冒頭で挙げた、私の初めてのはてブたくさんの方が読んでくださり、さまざまなコメントをくださいました。
その中でも「今まで意識したことなかったけど」というご意見がとても多くありました。
意識してなかったものを意識するようになる、それだけで楽しいって最高じゃん???と思うわけです。

学ぶことの入り口って、私にとっては、その"視点"を手に入れることで、そこからその視点で世界を眺めて、その視点で見えたものを描いていく、みたいなかんじで進んでいきます。
そうやって描いて生まれたものには、正直言って、なんの力もないというか、お金にもならなければ誰かの命を救うこともできず、ただ画材の無駄遣いだと思われても無理がない。
じゃあなんで描くのかって聞かれたら、好きだから、としか答えられないんですよね。

………あれ?なんの話だ?


●役に立つ学び、生産性のある学び。

学生時代から思っていましたが、言語学の楽しさを人に話すたびに考えさせられることがあります。
よく言われるのが以下の質問。

言語学って、仕事に役に立つの?」
「文学部の人ってどこに就職するの?」

もしかしたら、他の分野でもこういうことを言われることはあるのかもしれません。私が知らないだけで。

こういうとき、私は表では、「いやあ〜仕事には全然繋がらないんですよね〜」って、ちょっと自虐的に返してしまいますが、心の中では殴り合いの喧嘩を始める準備をしています(やめて)
もちろん悪気があって聞いてきてるわけではないと思います。でもときどき、ちょっと馬鹿にしたような言い方をされる方がいるのも事実で。

学生時代の学びが仕事に役立つことはもちろんあるでしょうし、自分が積み上げてきた知識を活かせるのは素敵なことだと思います
でも、じゃあ、役立てることが難しい学問は意味がないのか?と言ったら、絶対そんなことはないんですよ。
ないんだと、私は信じたい。

私は言語学を学び始めて、人との会話、自分の発言に意識を向けるようになりました。できているかはわからないけれど、特に時間をかけることのできる書き言葉のときは、自分の意図したとおりに伝わるかな?別の捉え方をされて不快にすることはないかな?とより考えて発信するようになりました。

学会を聞きに九州まで行って、教科書に載ってる教授とかに混ざって最新の研究内容について学び、いろんなお話をさせてもらうこともありました。まさに未知の世界。でも社会勉強として、楽しかったなあ。

直接的な言語学の影響かはわからないけれど、この1年くらいで、私の書く文章が丁寧で素敵だと言ってもらえたり、支えられてると言ってもらえたりすることが増えました。

仕事につながらなくたって、私はこれだけでおつりが出るほど満足なんですよ。
これに加えて、人の話を聞いててなにか言語現象見つけたときのハッってなる閃きのような恋のような気持ちもあるんだから、それを知らずして「仕事に役に立たないんでしょ?」なんて言われたら、つい拳がね、出ちゃいますよね

それに、私は、ただの自己満足のつもりで勉強していると何度も書いてきました。
でも、気づいたら、私が発信した何かによって誰かを支えることができていたり、楽しさやポジティブな気持ちを共有したり生み出したりすることができてたんです。

なんかそう考えたら、ちょっと自信が持てるようになりました。
(それが卒業間際だったことだけが無念なんですけどね…)


●学び"つづける"難しさ。

自己満足以上のものが得られるのであれば、学び続けたらいいじゃないかと、私も思うんですが、現実はそうもいかないことが社会人になってヒシヒシ実感しております。
時間のつくり方が下手なだけかもしれないですけど。
覚えることはたくさんあるし、取らなきゃならない資格もあるし、疲れてぼーっとしながらテレビを見ることはできるけど、いくら好きでも疲れてるときに参考書を読む気持ちにはなれなかったり。

週5日40時間(+α)で働きながらこれまでのような勉強をするって、難しいな!?!?

しかも悲しいことに、先程散々否定した"仕事に役に立つか否か"の考え方で優先度を決めてしまう自分もいて。
学ぶことは好きだけど、ある程度気力とかを消費するものでもあるから、単なるリフレッシュにはならないんですよね。
仕事をするための準備が最優先、仕事を効率よく行うための休暇がその次。

で、自分のしたい学問は"優先度の最も低い嗜好品"になってしまったのです。


なんかめちゃくちゃ悲しい。

今の私にはそれをどうしようもできないのが、悲しくて悔しい。


例えば、院に進学しながらバリバリにバイトしていたら、正社員ほどじゃなくても稼ぐことはできたかもしれなくて。
じゃあそうすればよかったのかな?って思うと、それもなんかうーん、ってかんじでもあって。
社会人になったから、企業に就職したから、専門的な学問は諦める、っていうのは、納得いかない。なあ。

これは甘えなのかしら。
社会はそんなに甘いもんじゃないぞ、って、そういうことなのかな。
うーん。


●で、何が言いたいの?

ほんとに目的なく書き始めちゃったから、終着点が見つからないんですけど…笑

まあ、ここでどれだけ騒ぎ立てたって、現実が変わるわけでもなく。
好きに勉強したらいいじゃん生活は見てあげるから、なんていう人が現れるわけでもなく。
仕事なんてそこそこに誤魔化しながらやったらいいんだよ、なんて言う人が現れるわけでもなく。
一緒に悩んでくれる人や、鼓舞してくれる人が現れるわけでもなく。

それでもなんかね、書きたくなっちゃったんです。
私の得意技、自己満足。

もしこれを読んでくださった方が、なにか考えてくださったら嬉しいなあ。
学生の方、新社会人の方、学生卒業してから数年経っている方、いろんな立場の方がいらっしゃると思います。
上手い生き方をされている方がいたら、アドバイスをください。
自分の今いる立場になんかちょっとモヤっとしてる方がいたら、お互い力にはなれないかもしれないけど、ここにもこんなにダラダラつらつらと悩んでるやつがいるんだなあ〜って勝手に気楽になってもらってもいいし、こんなダラダラ悩むやつになりたくねえ!って反面教師にしてくれてもいいです。
ご自身と学問の結びつきについて考えてくださる方がいたら、そのきっかけになれたら、私はとっても嬉しい。

なんでもいいから、なにか考えてくださったら、それだけで私の気持ちはちょっと救われます。


まあ書いただけでだいぶすっきりしてるんですけどね!

 
 
●ありえないくらいどうでもいい余談。
 
なんでこんなに言語学が好きなんだろう、って考えるときに思い浮かぶ歌詞がありまして。どうしても書きたくなっちゃったんで書きますね。
 
"君に出会った日 胸が震えた
例えようない気持ちで溢れた
流れた涙 ばれぬように拭った
隠せない これが恋なんだな"
 
私、この歌詞がとても好きなんです。
なぜかって、どうして好きなのか、どこが好きなのか、っていう理由が明示されていないのに恋に落ちてしまう不可抗力みたいなのが描かれているから。
 
まさに私にとって言語学ってこれだなあ、と思うわけです。
これが恋だなんて言われたら、もうどうしようもないよね。
 
 
●終わりに。
 
はいみなさん、ようやく終わりです。
ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました🙇
 
ひとことでまとめると、私はこれからも好きなものは好きって言い続ける人生でありたいな!ってことでした(そうなのか????)。
 
もしなにかあればマシュマロでもなんでもご意見ください。普段の分析とかじゃないのでないとは思いますが………笑
 
 
では。また気が向いたときに、思い出したようにつらつらと書きに来ます。
ありがとうございました!